本書の要点

(1)本書は2021年のショパン国際ピアノコンクールで、日本人として51年ぶりに2位を獲得したピアニスト反田恭平氏の自伝である。
(2)幼少期はサッカーに熱中していたが、12歳のときにフルオーケストラで指揮棒を振った経験を境に、「自分は音楽の世界で生きていく」と決意した。
(3)ショパンコンクールへの挑戦にあたっては、過去大会の分析、肉体改造、セルフイメージの創出、ストーリー性を意識したプログラム構成など、入念な準備と戦略で臨んだ。
(4)いまだ旧態依然としたクラシック音楽業界は、DX革命によってファンの裾野を広げるべきだ。

要約本文

◆「ピアニスト反田恭平」の誕生
◇1枚のチラシが運んだピアノとの出会い

 著者がピアノに出会ったのは3歳のときだった。転勤族として名古屋で暮らしていたとき、社宅に1枚のチラシが投げ込まれた。ヤマハ音楽教室のチラシであった。

 それから半年ほどして東京への転勤が決まったとき、音楽教室の先生は母にこう言った。「この子はとんでもなく耳が良すぎます。東京に行ってからも、必ず何か音楽を続けてくださいね」。このときは音あてクイズでちょっとしたズルをしていただけのつもりだった。しかし、東京で通い始めた、子どもに絶対音感を教える「一音会ミュージックスクール」で、耳に入ってきた音をそのまま再現できる能力が特殊なものであることに気づいた。

 一音会では、スパルタではなく「音を楽しむ」ことを教えてくれる先生から、ピアノのレッスンを受け始めた。

 反田ファミリーは音楽とは無縁の一家であった。家系にピアニストやプロの音楽家は一人もおらず、特に父親は音楽にまったく関心がなかった。著者当人も「本業はサッカー」というほどのサッカー少年で、ピアノはあくまで「趣味」であり、音楽の基礎をまったくわかっていないほどだった。

 しかし、11歳のときにサッカーで右手首を骨折したことをきっかけに、サッカー選手になる夢を断念する。そして「近所にあるから」というだけの理由で、桐朋学園大学音楽学部附属「子供のための音楽教室」に入学した。その当時の著者は教室の底辺層であった。しかも、2021年のショパン国際ピアノコンクールで4位に輝いた小林愛実さんも通っていた。小林さんはその当時すでに「天才少女」と全国で有名な存在だった。著者とは家族ぐるみの付き合いをしていた仲の良い幼なじみであり、ともに切磋琢磨をしていったライバルでもあった。