◇「音楽の世界で生きていく」と決める

 音楽にシフトチェンジした理由には、オーケストラの指揮者へのあこがれもあった。音楽教室が主催した「子どものための指揮者のワークショップ」で、プロのフルオーケストラの前で指揮棒を振る機会を得たのだ。

 著者はこのときの衝撃を今も忘れられないという。指揮台に立ったときの重圧と張り詰めた緊張感、そして指揮棒で合図をした瞬間に全身にぶつかってくる金管楽器のものすごい音圧。きらびやかで豊穣な音楽の世界がそこにあった。12歳の夏、「自分はこの世界で生きていこう」と肚を決めた。

 ワークショップの後、指導をしてくれた指揮者の曽我大介先生に「どうしたら先生のような指揮者になれますか?」と質問をした。すると先生は、まずピアノを極めることを勧めたのだった。

◇ショパン国際ピアノコンクール

 著者がショパンコンクールを強く意識したのは12歳のときだ。NHKのドキュメンタリー番組を観て、「ピアニストの世界にも、ワールドカップのようなすごい大会があるのか」と興味を持った。

 それから10年後の2015年、小林愛実さんがショパンコンクールに出場してファイナル(最終審査)まで勝ち進んだ。当時、留学先の国立モスクワ音楽院でくすぶっていた著者は「うらやましい、自分も出たい」と本気で思った。

 しかし、そこには葛藤もあった。

 2016年に著者に密着した「情熱大陸」が放送され、日本国内でそれなりに名が知られる存在になっていた。もしコンクールに出場して惨敗したら、ファンの信頼を失うかもしれない。逡巡を重ね、心が折れそうになりながらも「それでもコンクールに出たい」と思った。「挑んで後悔するよりも挑まないで後悔する方が一生苦しい」と考えたのだ。ショパンコンクールの本場であるワルシャワで、新たな人生をスタートさせた。

 ショパンコンクールは、1927年に創設された歴史あるコンクールだ。2020年に予定されていた大会には53カ国から502人のピアニストがエントリーしたが、新型コロナのせいで1年延期され、エントリーからファイナルまで2年もの時間ができた。著者はこの間まわりの雑音を極力遮断して、「自分は今何をすべきか、ピアノを通して何を伝えたいのか、どんな使命をもって生きていくのか」と内省し、自分の道を貫き通そうと考えた。