「日中友好は死語」と言われる時代になった

 一方で今年、中国との国交正常化50周年を迎えた日本では、「日中友好」の言葉の意義が改めて問われた。日本人でもこの言葉を意識する人は少なくなったが、中国人も同じで、「50周年を話題にしたら、中国人が白けた」と、ろうばいする日本人もいる。筆者も、東京生活が長い中国人から出た「『日中友好』など死語だ」と言う衝撃の発言に面食らった。

 そもそも日中友好運動は、日中戦争を経て、戦後の日本で発展したものだ。当時の目指すところは日中関係の修復だった。

日本の若者の間で「中国発」漫画・ゲームの人気が上昇中、次世代の中国観とは上海で開業した内山書店は日中の文化人が交流するプラットフォームだった(内山書店提供)

 1980年代まで自民党議員の秘書をしていた小川和幸さん(仮名)は、「『戦争を直視し中国と仲良くしていこう』という純粋な気持ちは、正常化前後の自民党議員の中にもありました」と語る。

 他方、中国としては、台湾との外交関係を樹立した日本(1952年に日華平和条約を締結)に対し、経済や文化などから着手して民間交流を促し、最終的には政治面での交流を回復させようという狙いがあった。

 政治的な深謀遠慮もあっただろうが、戦争の痛みを感じた人々が、純粋な志で「日中友好」の井戸を掘ってきたことを疑う余地はない。

 その後「日中友好」は日中双方を結び付ける重要なキーワードにもなったが、時代とともに変化を遂げた。「日中友好」を掲げた活動は中国側の宣伝のために利用される側面もあり、また日本側の金もうけ的野心で利用される側面もあった。「時代とともにうさんくさいものになっていった一面も否定できない」と小川さんは話す。

 今では関係回復に奔走した先達の多くは鬼籍に入り、国際情勢の風向きも変わった。正常化50年を経て中国そのものが変貌するなか、「日中友好」は、「時代遅れ」の感すらある言葉になってしまった。本来なら継承者となる若い世代も、言葉そのものに大きな魅力を感じてはいない。

 一方で、小川さんは「『日中友好』には、『戦争を二度と起こさない』という重要なメッセージが含まれていますが、これが次世代にうまく引き継がれていません」と嘆く。案の定、今では各国が軍事費を積み増し、第3次世界大戦さえ起こりかねない状況だ。