経済成長を最優先する「改革開放」とは

 1978年、鄧小平は経済成長を最優先する「改革開放」を打ち出した。目的は、文化大革命で停滞した経済を再興するためだった。当時の政権は経済特区を設けて海外企業を誘致し、国有・国営企業への製造技術の移転や、サービス分野などでの民間企業創設の認可などを進めた。

 亡くなった李前首相は、改革開放を経済理論の側面から支えた北京大学の厲以寧(リー・イーニン)教授の薫陶を受けた。厲教授は、計画経済から市場経済へ、資本(株式)は国有と状況に応じた私有の認可(混合経済)に段階的に移行する――、一党独裁体制を維持しつつ経済成長を実現することは可能と論じた。

 李前首相は経済の統制を取りつつ、改革を進めようとした。2015年5月に習政権が発表した「中国製造2025」は象徴的だった。発表に先立つ同年3月、李前首相は国務院常務会議を開き、製造業の高度化の実現に向けて中国製造2025の推進スピードを速めるよう前もって指示した。

 李前首相は、銀行融資残高、鉄道貨物輸送量、電力消費量の3つのデータ(李克強指数)も重視した。それらの推移を確認しながら、不動産やインフラの投資、直接投資誘致など経済政策を調整し、中長期視点で成長分野の生産性向上を目指した。

 根底には、右肩上がりの経済環境は未来永劫(えいごう)続くわけではない、といった考えがあっただろう。リーマンショック後、中国の地方政府は土地の利用権をデベロッパーに売却して財源を確保し、経済対策を打った。デベロッパーは価格上昇期待を支えにマンション建設を増やす。それによって、インフラ投資、鉄鋼など重厚長大分野での生産、雇用、個人消費や設備投資が盛んになった。

 わが国の経験に照らせば、バブルはいつか崩壊する。李前首相は重厚長大分野からIT先端分野などにヒト、モノ、カネの再配分を促進し、経済運営の効率性を高めることによって、投資依存からの脱却、不動産バブル崩壊時の影響を抑制しようとしていただろう。