みんなが生きがいを持ってはいない
生きる意味を保留しておく考え方

 生きてて良かったって感じる瞬間は人それぞれで、学校に行って友人と会うのが楽しくて生きている人もいれば、好きなコーヒーショップに週一回足を運んでぼーっとする時間に、あ~生きてるな~ってなる人もいるでしょう。

 自分のために生きるのが難しくて、親孝行をするためとか、パートナーのため、自分の子どものため、など他者に生きる理由を見出そうとする人もいます。

 自分が存在するだけで喜んでくれる他者が世の中にいるのなら、と。でも結局、何のために生きているのかって聞かれたら、大きなミッションのためというより、死ぬ理由がないからなんとなく生きてしまっている人も少なからずいると思います。

 ティティさんは様々な出来事に対して疲れているように見えるので、少し整理してみましょうか。大きく二分して「今、現在」と「将来」かな。

「将来」について、「見えない将来が不安です。自分の人生がどうなれば成功で納得するのかもわからない」とのことですが、高校生の時点では将来についての情報が不足しすぎていて、漠然と想像するのが精一杯になってしまいそう。

 将来の目標が明確にあると、逆算して今取り組むべきことがわかり、モチベーションも湧いてきて、「今、現在」のスタンスが掴めそうです。逆に、将来の目標がわからない時は、目の前の学校の課題をやったから何になるんだって嫌になります。

 生きることの意味や生きがいって、全員が確実に持って生きているとは私は思っていません。一旦、保留にした状態で、いつかタイミングが来た時に考える。そうしないと究極「生きてる意味なくね?」ってなるかもしれないからです。

 今のティティさんに必要なのは、この保留にしておくことを良しとする心なのかな。一生懸命生きてきて、ちょっとした息切れ感が伝わってきます。

 ペースダウンして、省エネモードで生きる時期があっていい。新しい環境に慣れるペースは人それぞれなのだから、周りがどうであろうと、ティティさんは時間をかけて少しずつ慣れていこうって思えたらいいですね。