オリンピックの招致が決まり、世の中全体が盛り上がっている最中に、大きな違和感を与えるニュースが流れた。ご存じ、JOCによる便乗商法の禁止である。これによって、都内の百貨店やスーパーでは「オリンピック決定の記念セール」は一切開催できなかった。「オリンピック開催記念セール」はもちろん、「祝!東京」もダメ。「おめでとう東京セール」もNGである。
メディアでこのニュースが流れたとき、多くの人は冷水をぶっかけられたような気分だっただろう。マスメディアはJOCに遠慮してか、表立った批判はあまり見られなかったが(特にテレビ)、ネットには批判記事があふれた。もちろん、JOCの言い分も分かる。「オリンピック」とか「東京五輪」という文言を使えるのは、協賛スポンサーだけにしたいというのは理解できる。しかし僕は、この理屈にはいくつかの点から無理があると考えている。
オリンピックの流れを変えた
ロサンゼルス五輪
そもそも「オリンピックは誰のものか?」――という問題がある。1984年のロス五輪以降、オリンピックはどんどん商業化を進めていった。しかし、僕は商業化自体を批判する気はない。商業化したおかげで、存続の危機にあったオリンピックは復活し、大きく成長したからだ。1964年の東京五輪の感動もあり、日本人はオリンピックに多大な幻想を抱いてきたかもしれないが、かつてのオリンピックはそれほど世界的にメジャーなスポーツイベントではなかったといえる。
その背景には政治的な影響も大きかった。1936年のベルリン五輪ではナチスドイツがオリンピックを政治的プロパガンダに利用し、その後の2大会は第二次世界大戦のため開催されなかった。さらにその後の1950年代のオリンピックは東西冷戦を象徴する場であったし、1972年のミュンヘン五輪ではイスラエル選手に対するテロ事件まで起きた。1980年のモスクワ五輪ではソ連のアフガニスタン侵攻を受け、西側諸国が大会をボイコットしたりもした。
また、財政的な問題もあった。たしかに1970年代からオリンピックは世界的なイベントになっていったが、同時に膨大な運営経費がかかるようになり、その運営費すべてが自治体負担であったことから立候補都市が激減し、開催都市がなかなか決まらないという危機的状況を迎えていた。
そのような状況下で決まったのがロス五輪。ロス五輪は当初から「民間資金のみで運営する」という方針が示され、大会組織委員長ピーター・ユベロスのもと、放映権や公式スポンサー等の新たなビジネスモデルを確立し、大きな成功を収めた。この民間資金を取り入れた運営方式は、その後、当時のサマランチ会長率いるIOC自身が受け継ぎ、現在の五輪ビジネスとして確立。商業化とともに、オリンピックは世界的なメジャーイベントに成長していったのだ。