何冊読んでも、ほとんど覚えていない…。そう感じる人は多いはず。どれだけ多読・速読をしても、身につかない読書では意味がない。1冊ずつ本と向き合い、読んだ内容を確実に自分の血肉にするためにはどうすればいいのだろうか? 50万人が支持したノート術から「読書の技法」を紹介。
「読みっぱなし」は読んでいないのと一緒
この連載では、全5回に分けて、ノートを使って「読書体験を血肉にする方法」を紹介していきます。読書で得た知見を仕事に活かしたい人だけでなく、個人的な悩みや問題解決をしたい人にとってもおすすめしたい手軽な読書術です。
さて、あなたは、これまで読んだ本のことをどれだけ覚えているでしょうか。たとえば、よく人に聞かれる座右の書。「これは学生のころに読んで、ためになったよ」という以外に、どんなことが言えるでしょう。次のような問いに答えることができるでしょうか。
・どんなことが書かれていましたか?
・特に気に入ったくだりは?
・どんな影響を受けましたか?
・どういった点がすぐれていましたか?
あらためて考えてみると、なかなか難しいと思います。では、覚えていないのは仕方ないとしても、感想の走り書きやメモなどは残っているでしょうか。また、これと似たようなケースで、こんな思いをしたことはありませんか。
「この本は以前に読んだはずだけれど、どんなことが書かれていたか、ほとんど何も覚えていない……」
僕は、記憶力があまりよくない方です。実際に足を運んだりして体験したこととなると、それなりに覚えているものの、人の名前や地名、読んだ文章となると、何度聞いても覚えていられません。読んだ本のこともすぐ忘れる。
だから、本の内容を覚えていない、または内容が頭に入った気がしないことについて、ずっと前から問題意識を持っていました。読んだのに残らない。それは、読んでいないのと同じではないか、と。
「いい本だったけれど、あまり身についた実感がない」
「読んだそばから、どんどん忘れていくような気がする」
「読みっぱなしで本の山が増えるだけ。全然活用できていない」
こういったことを以前から、ぼんやりと悩んでいたのです。誰でも、少しは心当たりがあるのではないでしょうか。一方で、次のような考えもまた浮かんできます。
「全部を忘れたんじゃない。きっと何らかのエッセンスが自分に影響を与えているはずだ」
100のうち、1か2でも残ればいいと割り切って考えるわけです。残りの99だって、一度は頭を通過しているのだから、何かのきっかけがあれば呼び覚まされるかもしれない。「そういえば何かで読んだ」「こんな話があった気がする」と。
しかし、昨日の食事すら、すんなりとは思い出せないのが人間というものです。にもかかわらず本だけは、「エッセンスが残る」というのは、どう考えても無理があるような気がします。
それに、100のうち1や2では、いくらなんでも効率が悪すぎますね。身銭を切って買った本なのだから、100や90とは言わないものの、10から30くらいは身になってほしい。こんなことを考えながら本を読んでいて、いつしか僕は、こう考えるようになりました。
「『エッセンスが残る』は、こうあってほしいという願望にすぎない。安心するための方便であり、ご都合主義だ」
ましてや長年本を読んでいると、苦労して読んだ本なのに、100のうち1か2ですら残っていないこともままあります。──読んだけれど、読んでいないのと同じ。読みっぱなしで頭に残らない読書は、いくらやっても無駄なのです。