世の中には二種類の男がいる。Perfumeが好きな男と、そうではない男だ。今回はPerfumeを起点に、女性アイドルと社会貢献の関係について述べてみたい。

 僕の周辺のオヤジには、熱心なPerfumeファンが多い。しかし、AKB48グループのファンはほとんどいない。それはなぜなのかということを考えてみたときに、女性アイドルというものが、社会変革と大きな関係があることがわかった。端的に言えば、女性アイドルの歴史とは、女性解放とそれに対する反動の歴史なのだ。Perfumeは女性解放としてのアイドルの系譜につながり、AKB48グループは反動の系譜につながる。言い換えれば、新しい女性像を受け入れる男性はPerfumeが好きだということだ。これが、僕と親しいオヤジどもにPerfumeファンが多い理由だが、今回はこのことについて少し詳しく述べつつ、新しい女性像を受け入れることが社会だけでなく、経済や企業を成長させるのか――ということについて考えたい。

若い男性の幻想から生まれた
日本の女性アイドル

 というわけで、ここで簡単に日本における女性アイドルの歴史を簡単に振り返ってみよう。日本におけるアイドルの歴史は70年代に始まったと言って良いかと思う。もちろん、それ以前にも「女性アイドル」は存在していたが、話が長くなり過ぎるので70年代以降にフォーカスするわけだが、この時代を象徴するアイドルは天地真理、浅田美代子、桜田純子・森昌子・山口百恵の「花の中三トリオ」、浅丘めぐみ、アグネス・チャン、そしてキャンディーズなど多数いる。

 この時代の女性アイドルは、若い男子の幻想の投影物で、つまり男性的価値観の具象でしかなかった。男子の幻想の投影とは精神的な憧れの対象であり、性的な対象という視点はむしろファンの側が排除していた。だからアイドルがセクシーであることはあり得ず、そのような役割は山本リンダなどもっと大人の歌手や女優が担っていた。

 その証拠として、たとえばアグネス・チャンはいま風に言えば「巨乳アイドル」の資質を持ったアイドルだったが、当時は「胸が小さい」こともアイドルの必須条件だったこともあり、彼女はその巨乳ぶりを隠すために胸にサラシを巻いてテレビに出ていた、という逸話が残っているくらいだ。

 幻想の投影とは、男子が自分たちの価値観で女性を縛るということで、それが70年代アイドルの主流だったのだ。しかし、だからこそ山口百恵とキャンディーズは衝撃的だった。なぜなら彼女たちは、いわば「自己主張する」最初のアイドルだったからだ。

 山口百恵を特別な存在に高めたのは、「横須賀ストーリー」から始まる一連の宇崎竜童・阿木燿子夫妻による作品群だ。その代表的な楽曲である「プレイバックpart2」のなかで主人公の女性は、真っ赤なポルシェに乗って一人旅をする。そして男性に向かって「バカにしないでよ」と啖呵を切る。つまり、1人で自由に行動し、男に対して堂々と主張する女性像を歌い上げていた。

 この「自己主張する女性」は、当時の芸能界にあっても、一般の社会にあってもまったく新しい女性像だった。女性は自己主張せず、男性の言うことに黙って従うのが美徳とされていた社会にあって、自己主張する女性を歌う。そして、そのような女性像を多くの男性に受け入れさせた。これが、山口百恵が成し遂げたことだ。もちろん、これらの楽曲は彼女自身が作ったモノではなく、宇崎竜堂・阿木曜子夫妻によるが、このコンビの起用を決めたのも山口百恵本人の意志であるという。