インフラよりも
モバイル機器

当時のイラクは、サダム・フセイン政権が崩壊してから6年以上も戦争状態にあったのだ。

全体主義にとりつかれたフセインは、携帯電話の使用を禁じた。

戦争で物理的インフラが壊滅し、ほとんどの人が食料、水、電力を確保できない状態で、生活必需品さえ、手が出ないほど高かった。ゴミが何年も回収されていない地域もあった。さらに深刻なのは、政府高官であれ、雑貨店主であれ、国民の安全がまるで保障されていなかったことだ。

そんな状況では、携帯電話の普及など、この国のうんざりするほど長い「やることリスト」の最後の項目としか思えなかった。

にもかかわらず、モバイル機器をあちこちで目にしたのだ。イラク人は、日常生活の待ったなしの問題を差し置いてでも、「技術」を優先したのである。

イラク人はすでに技術力をもち、それを活用していた。だがそれだけでなく、技術の大きな力を利用すれば、人々の生活をより豊かにし、疲弊した祖国の運命を好転できることを、彼らは見抜いていたのだ。

私たちが出会ったエンジニアや起業家は、自力で復興できないもどかしさを、切々と語ってくれた。

彼らには、何が必要なのかすでにわかっていたのだ。