わが家に重要な客が来ている。ドイツに住む従妹(いとこ)だ。1997年から日本語を学習する就学生として日本に1年間くらい滞在したことがある。当時、日本語の語学力はすでに2級試験に合格していた。しかし、婚約者が当時の西ドイツに留学することになったので、日本を離れ、ドイツへ赴いた。

 西ヨーロッパに行ってしまった従妹の生活や学業を心配していたから、ヨーロッパの情報も注意深く読むようになった。そうこうしているうちに、天安門事件が終わって間もなかった中国から、同じ社会主義の道を歩んできたハンガリーに赴く中国人が異常に多いことに気付いた。この動きに関心をもった私は従妹たちの新しい生活を一目確認したいという気持ちもあり、当時の東ヨーロッパの主要国であるハンガリー、チェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアという2つの国に分かれている)、ルーマニア、西ドイツ(現在は東ドイツと合併してドイツになった)、オーストリア、そしてロシアを駆け回り、数度も取材した。

 その成果としては、拙著『新華僑』『蛇頭』を生み出し、私のジャーナリストと作家としての人生の基礎を築いた。やがて、新華僑という私の造語は1970年代後半から海外に出た多くの中国人を指す専門用語として世に認知され、私もいつの間にか新華僑の名付け親と呼ばれるようになった。

数々のショッキングな出来事

 こうした成果はもし従妹という触媒がなければ、生まれてこなかったかもしれない。その従妹が26年ぶりに日本を訪れてきた。わが家では当然、一大事だ。私も3日間を割(さ)いて自ら彼女を関西に案内した。

 日本各地を講演や取材などで結構回っている。観光関連の仕事もかなり手伝っている。観光業を発展させるための地方自治体のおもてなし条例の制定などにもかかわっている。しかし、一観光客として、特に一外国人観光客として各地を回ることは、考えてみれば、ここ十数年はほとんどなかった。

 現場に行くとき、地方の観光行政の関係者か業者が付き添っている場合がほとんどだ。だから、現場の実態に体をさらけ出して接していたとは言い難い。従妹の接待で、ショッキングな現場を見て、思わず日本がもっとも自慢すべきだと思っているサービスが崩壊し始めているという錯覚に陥るほど驚いた。あまりにも信じられないことなので、敢えてここで社名などを隠さずに読者の皆さんに報告したい。