安保環境の変化と問題設定の在り方
「集団的自衛権」の本質とは?

 5月15日、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(通称「安保法制懇」)が、報告書を安倍総理に提出した。新聞などはあたかも集団的自衛権の行使容認にむけての憲法解釈の変更が中心課題であるかのように報じているが、これは正しい問題設定ではないと思う。

 安保環境の変化のなかで現在の日本の安全保障体制は十分ではないので、どう体制を拡充するかが正しい問題設定であり、これが直ちに「集団的自衛権の行使容認問題」となるかのように論じるのは、問題の本質に全くそぐわない。

 というのは、集団的自衛権の基本的概念は、一国に加えられた攻撃を他国にも加えられた攻撃と概念し、共同で自衛権を行使するというものであるからだ。集団的自衛権は、国連憲章51条においても明確に示されている概念であり、NATO(北大西洋条約機構)の基礎となる概念でもある。

 過去には、たとえば1991年の湾岸戦争は、イラクのクウェート侵攻に対して、米国などがクウェートとの集団的自衛権を行使したものである。最近では2001年からのアフガニスタン戦争や2003年からのイラク戦争において、米国の同盟国が集団的自衛権の行使として多国籍軍に参画した。

 つまり集団的自衛権の本旨は、他国と共同で自衛権を行使するために、海外に派兵するという概念なのである。しかし、今回の安全保障の法的基盤の見直しにおいて、このような多国籍軍に日本が参画していくことが必要として課題設定が行われているわけではない。むしろ安倍首相は、このような行動に参加はしないとしている。

 となると、あたかも集団的自衛権の本旨とは離れた限界的ケースについて行動するために、集団的自衛権の行使容認がいる、という議論が提起されているようにすら見られる。これは大変ミスリーディングだと思う。