東日本大震災直後に
被災地を訪ねた思い

編集部 東北との縁という点でいえば、東日本大震災の直後に、杉本さんをはじめとする立花さんを慕う若い経営者と一緒に、被災地を訪ねたエピソードも本書で紹介されています。

立花 そうですね。本の中ではそこまで書いてなかったと思うけど、当時、われわれの仲間にはまだ独身だったり子どもはいない経営者が多かったんですよ。だから、津波の被害で孤児になってしまった子どもがいたら、成人するまで支援して助けてあげようなんて話し合って被災地の児童施設などを訪ねたんです。

杉本 でも、児童施設では特定の子どもに対する支援は受け付けてくれなかったんですよね。たしかに、改めて考えてみれば受け付けられない理由もわかるんですが、当時は気持ちだけが先行してしまいましたね。

起業家対談シリーズ第3回 立花陽三<br />東北のためにできること、今やらねばならないこと。杉本宏之(すぎもと・ひろゆき) [起業家] 1977年生まれ。高校卒業後、住宅販売会社に就職、22歳でトップ営業となる。2001年に退社し、24歳でエスグラントコーポレーションを設立。ワンルームマンションの分譲事業を皮切りに事業を拡大し、総合不動産企業に成長させる。2005年不動産業界史上最年少で上場を果たす。2008年のリーマンショックで業績が悪化、2009年に民事再生を申請、自己破産。その後再起し、エスグラントに匹敵する規模にグループを育て上げた。2014年7月、復活を果たしたのを機に著書『30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由』を刊行した。

立花 結局、市と、被災した子どもを受け入れている学習塾にお金を置いて帰ってきた。

杉本 ただ、間口の広い受け皿に寄付しても、そのお金がどう使われるのかはよくわからない面がありますよね。だからこそ、一人の子どもをちゃんと面倒みてあげようというプロジェクトだったんですが……。

立花 いくら寄付しても、そのお金で子どもたちがハッピーになれるのかがよくわからない。今後も、大きな災害などが起きた時にどうすれば寄付が有効に活用されるのかというのは、難しい課題だと思いますね。ともあれ、実際に訪ねた被災地で無力感を突き付けられて東京に戻ってきて。球団社長をやらないかと言われたのが、その翌週だった。

編集部 まさに、運命的ですね。

立花 そうですね。あまりにもタイミングがよくて。自分自身の人生の流れなんだと感じましたね。

杉本 会食の席で、三木谷さんからオファーがあったことを話してくれた陽三さんは少し興奮してましたよね。今、僕のグループで楽天イーグルスのスポンサーをやらせていただいているのも、そういうご縁と流れがあってのことですからね。

立花 ともあれ、今年は球団の成績が低迷しているにもかかわらず、入場者数や売上は減っていないんです。スポンサーはもちろんですが、本当に、東北のファンのみなさんには感謝しています。