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歴史に学ぶ「日本リバイバル」 松元崇(元内閣府事務次官、第一生命経済研究所特別顧問)

「松方デフレ」と「黒田バズーカ」
経済発展の礎を築いた松方正義の真の功績と
量的金融緩和の意義

松元 崇 [元内閣府事務次官/第一生命経済研究所特別顧問]
【第2回】 2015年1月9日
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「悪い物価上昇」「財政規律の崩壊」
量的金融緩和はなぜ批判されるのか?

 2008年9月のリーマンショック後に、米国のバーナンキFRB議長は「日本のようなデフレに陥らないために」と思い切った量的金融緩和に踏み切った。リーマンショックの大きな影響を受けたEUも、同様の量的金融緩和に踏み切った。

 そのような中で、わが国だけが量的金融緩和を行わなかったために、円が過少となり、急激な円高が進んだ。その結果生じたのが、円高とデフレのスパイラルである。米国がQE1、QE2といった量的金融緩和を打ち出す度に円高が進み、株価は大きく下落していった。円は80円から75円へと高騰し、50円になってもおかしくないとまで言われるようになった。

 わが国と多くの分野で競合関係に立つ韓国との関係では、リーマンショック前の2007年と較べて2009年には42%もの円高・ウォン安になり、日本企業と韓国企業との間の競争力には劇的な変化が生じた。それは、実力に見合わない円高であった。言葉を失うような突然の円高に直面した多くの企業は、その生産を円高の影響を受けない海外に移す決断を迫られた。

 「空洞化」という文字が新聞の紙面に躍るようになった。筆者の故郷である鹿児島県からも、47年前に県が企業誘致した第1号のパナソニックの工場などがなくなっていった。それは、日本が日本企業にとって活動しにくい国になってしまったことを示していた。それは、企業の生産活動にとって重要な物価(為替)の安定という金融の基盤が、失われてしまったことによるものであった。

 アベノミクスの第一の矢として日本銀行が行っている量的金融緩和は、デフレから脱却することによって企業活動にとって重要な物価の安定という金融基盤を、わが国で再構築しようとするものである。それによって、日本を企業にとって最も活動しやすい国にしていく成長戦略の一環である。量的金融緩和の結果、行き過ぎた円高は是正され、株価は上昇に転じた。

 ところが最近、その政策に対して、「悪い物価上昇を招くものだ」「国債市場を消滅させ、財政規律を失わせるものだ」といった様々な批判が行われるようになってきている。

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松元 崇 [元内閣府事務次官/第一生命経済研究所特別顧問]

まつもと・たかし/株式会社第一生命経済研究所特別顧問、日本ボート協会理事。1952年生まれ。鹿児島県出身。東京大学法学部卒、スタンフォード大学経営大学院修了。1976年大蔵省(現財務省)入省。熊本県庁企画開発部長、大蔵省銀行局金融会社室長、主税局総務課主税企画官、財務省主計局次長などを経て内閣府に転じ、政策統括官(経済社会システム担当)、官房長、事務次官などを歴任。著書に『恐慌に立ち向かった男 高橋是清』(中公文庫)、『「持たざる国」への道-「あの戦争」と大日本帝国の破綻』 (中公文庫)、『高橋是清暗殺後の日本――「持たざる国」への道』(大蔵財務協会)、『山縣有朋の挫折――誰がための地方自治改革』( 日本経済新聞出版社)、『リスク・オン経済の衝撃』(日本経済新聞出版社)など。


歴史に学ぶ「日本リバイバル」 松元崇(元内閣府事務次官、第一生命経済研究所特別顧問)

日本はのるかそるか――。アベノミクスの信が問われるこの国は、まさに時代の岐路に立たされている。我々日本人は、政治、経済、社会の改革をどう見据え、新しい国づくりを考えて行けばいいのか。そのヒントは、近代日本を築き上げてきた先人たちの取り組みからも学び取ることができる。内閣府時代に新しい経済・社会システムづくりの知見を深め、歴史上のキーマンたちの姿を描いた著書を通じてわが国の課題を問い続ける著者が、「日本リバイバル」への提言を行う。

「歴史に学ぶ「日本リバイバル」 松元崇(元内閣府事務次官、第一生命経済研究所特別顧問)」

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