中山さんが働き始めた1970年代頃は、中学校や高校卒業後に弟子入りすると、まずは「指ぬきの習い」と呼ばれる手縫いの練習、先輩職人の使い走りなど、下積みからスタートするのが一般的でした。しかも仕事は教えてもらえるものでなく、先輩の仕事を盗み見て、自分で習得するもの。

 高度成長期にあたり、注文は多かったため、先輩が忙しい時に手伝ったり、休みの日に代わりに仕事をしたりする中で、徐々に仕事を任されるようになっていったそうです。

 とはいうものの「部分的にしか任されないので、裁断、縫製と全ての工程をこなす“一人前”になるまで、20年かかることもざらでした」と話します。

 その後、注文服の市場が縮小するにつれ、“歳月と忍耐”が必要な職人の世界に足を踏み入れる人も少なくなり、後継者が育たぬまま、ベテラン職人たちの高齢化が進みました。

ベテラン職人はもはやいなかった!

 2000年代に入り、「銀座テーラーの存続のためには、確かな技術を持つ職人が不可欠」と考えた鰐渕美恵子代表取締役社長は、ベテランの職人を増員しようと新たに裁断士を募集しました。

 集まった50人の応募者のうち、49人がCADを使って型紙をつくるパタンナー。裁断士はたった1人だけでした。

 昔ながらの技術を受け継ぐベテラン職人はもはや希少な存在。このままでは日本からハンドメイドスーツの文化が失われてしまう――。鰐淵社長が決断した「あること」とは?!【後編】の「Reflection 中原淳の視点」もお楽しみに。

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