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湯谷昇羊 不屈の経営者【列伝】

倒産寸前の老舗テーラー
再建したのは素人の社長夫人(上)

――銀座テーラー社長 鰐淵美恵子

湯谷昇羊 [経済ジャーナリスト]
【第1回】 2009年10月28日
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政財界人など日本のトップ層を顧客に持つハンドメイドオーダー紳士服の老舗・銀座テーラーは、バブル崩壊後、経営危機に陥った。それを救ったのは家庭の主婦だった2代目社長の夫人、鰐渕美恵子だった。

絵画蒐集の道楽に走った2代目社長
バブル崩壊の波に襲われ経営危機に

 銀座テーラーは創業者の鰐渕正志が、終戦直後の1946〈昭和21〉年に創業した。世界高級紳士服展の日本代表に何度も輝くなど、ハンドメイドオーダー服の老舗だった。正志の事業は成功し数棟のビルを保有したほか、趣味の絵画や骨董品は美術館が作れるほど蒐集していた。

 その事業を継いだのが正志の息子で2代目社長の鰐渕正夫だった。1984年のことだったが、すぐにバブルがやってくる。正夫は仕事そっちのけで趣味の絵画に走った。正志の集めた絵や骨董品をすべて売って、自分の好きな絵を買った。そればかりか保有するビルを担保に銀行からカネを借り、絵画を買いあさった。絵画の価格もみるみる上がっていく。

鰐淵美恵子
株式会社 銀座テーラー 鰐淵美恵子社長

 カネを借りて欲しい銀行がこれを煽る。クリスティーズやサザビーズに出かけて、直接、競り落とした。会場の隣の席には銀行員がいて、「はい、10億円ですね。いいですよ」などと言っていた。新進の画家の絵も山のように買った。この頃の正夫のおカネの使い方は半端ではなかった。一晩の飲み代が100万円は当たり前で、車はロールスロイスのリムジンに乗っていた。バブルにより50万円や100万円のスーツの注文が相次ぎ、お仕立て券も飛ぶように売れた。銀座テーラーの業績も絶好調で、社員までベンツ560に乗るほどだった。

 しかし、“山高ければ谷深し”の言葉通り、バブル崩壊で銀座テーラーの売上は急降下、絵画は暴落した。絵画は有名な画家の絵でも半額は当たり前、ひどいものは10億円だったものが2億円にしかならなかった。「今売ると損だから、もう少し待ったほうがいい」と言っても銀行は「とにかく売れ。売って借金を返済しろ」という。ある絵画など2億円で売ったものが、その後20億円にまでなった。

専務が辞めてわかった会社の実態
借金返済の督促電話に怯えた美恵子

 正夫の妻、鰐渕美恵子が家庭の主婦から営業として入社したのは、そんな1992年、44歳のことだった。美恵子は低迷する業績をなんとかしたい、ただそう思っていただけだった。

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湯谷昇羊 [経済ジャーナリスト]

経済ジャーナリスト。鳥取市出身、1952年生まれ。法政大学経済学部卒業。1986年にダイヤモンド社入社、2004年週刊ダイヤモンド編集長。2007年営業局長兼論説委員、同年取締役。2008年同社退社。2000年に立命館大学客員教授として教鞭をとる。主な著書に、「迷走する銀行」、「生保危機の真実」、「会社再建」、「立石一真評伝 『できません』と云うな」(いずれもダイヤモンド社刊)、「サムライカード、世界へ」(文春新書)などがある。最新刊は『巨龍に挑む 中国の流通を変えたイトーヨーカ堂のサムライたち』(ダイヤモンド社刊)。


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