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ニッポン 食の遺餐探訪

日本人が忘れかけた味「海苔の佃煮」が再評価

樋口直哉 [小説家・料理人]
【第29回】 2015年4月1日
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ごはんにのった海苔の佃煮。少しのせるだけで何杯もごはんがすすむ

 このところ世界中で『海藻』が人気だ。Sea weedという単語に悪いイメージがあったのは昔の話。海藻とは一般家庭の食卓にも広がりつつある。少し前、イギリスのテレグラフ誌のエスニックフードを紹介する連載「A-Z of unusual ingredients」で「海苔」が扱われていた。

 記事によると「海苔はヨーロッパでも人気が高まりつつあり」という。ロンドンのレストランでは「煮た海苔をフラン(プリン)に載せたデザート」や「海苔入りのチョコレートケーキ」もあるそうだ。お馴染みのシート上の海苔の他の用途として「ふりかけ」や「佃煮」が紹介されている。

 『佃煮は海苔のペーストで伝統的な調味料、麺料理や魚料理など幅広く使われる』

 すでにフランス料理の国際コンクールなどでも使われはじめた海苔の佃煮。その名前は東京都中央区にある佃の地名に由来するが、ところでどのように日本に広まったか、ご存知だろうか? 

 江戸=東京のローカルな食べ物だった佃煮が日本全国に広まったことには、明治以降の戦争が関係している。はじめ西南戦争における軍用食として製造されたのを皮切りに、日清戦争でも活用され、戦後帰宅した兵士たちによって各地の食卓へと根付いていったのだ。例えば広島は昆布の佃煮が盛んだが、これは日露戦争においてこの地を拠点にした陸軍の需要によって発展したと言われている。

 江戸時代までは「川を渡れば別の国」という意識だった日本に「日本人」という一つのメンタリティが確立されていったのは明治以降である。同じ釜の飯を食べるという言葉もあるが、この〈日本人〉という意識の確立には「米」を「佃煮」で食べるという食習慣の広がりが関係しているのではないか、と僕は思う。

江戸前の海苔にこだわった佃煮
漁師に海苔を「つくってもらっている」

遠忠食品代表、宮島一晃さん。東京湾の環境保護活動にも積極的だ

 全国に広がった一方で、高度成長期以降、元祖江戸前の佃煮は減少の一途をたどる。今回、訪れた遠忠(えん─ちゅう)食品は大正2年に創業した江戸前の佃煮屋だ。三代目の宮島一晃社長からお話を伺った。

──どうして江戸前の佃煮は少なくなったんですか?

 「結局さ。うちでも昭和40年代くらいまでは浦安にあさりのむき身工場があったわけ。でも、東京湾の漁師たちが漁業権を放棄しちゃったから獲る人がいなくなっちゃった。当然、うちの工場もなくなっちゃって、佃煮っていうのも輸入の原料に変わっていった」

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樋口直哉 [小説家・料理人]

1981年生まれ。服部栄養専門学校卒。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『月とアルマジロ』(講談社)、『大人ドロップ』(小学館)、『星空の下のひなた。』(光文社)、『ヒマワリのキス』(徳間書店)、『アクアノートとクラゲの涙』(メディアファクトリー)がある。

 


ニッポン 食の遺餐探訪

和食を世界遺産に、という動きが農林水産省を中心にはじまっている。日本料理はここ十年余りの世界的な流行になり、外国の料理人の多くも関心を持っていて、誰もがそれを理解しようとしている。しかし、当の日本人の多くは日本料理を理解できていないのではないか。そこでこの連載では、日本の食を支えている道具や食材をつくっている生産者、職人を訪れて、私たち日本人が知らない日本の“食の遺餐”を紹介していく。 

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