思い煩うことなく酒を飲み、長生きした井伏鱒二※享年(数え年で表記)
イラスト/びごーじょうじ

 井伏鱒二の小説は教科書で初めて触れたという人も多い。教科書に多く掲載されている短編『山椒魚』は井伏の代表作だが、個人的にも奇妙な味わいが記憶に残っている。

 太宰治の師匠としても知られる井伏は戦前から戦後にかけて長い間、活躍した作家だ。戦前には『ジョン萬次郎漂流記』(この作品で直木賞を受賞)、戦後の作品として『黒い雨』などがある。

「文士が通った店」という縁が語られる店は数多いが、作家では井伏の逸話が最も多いのではないだろうか。神田のうなぎ店、大久保や中野の居酒屋、早稲田のそば屋、阿佐谷の中華料理店、西荻窪フランス料理店……さまざまな店に通い、請われれば店の命名もしている。

 井伏の自宅は東京の西側、荻窪にあった。井伏が『荻窪風土記』に書き記したような自然は少なくなったが、荻窪には今も井伏が書いた「昼間にどてらを着て歩いていても、後ろ指を指されるようなことはない」という雰囲気は残っており、商店街には「井伏さんはよく来たよ」という店がまだいくつもある。作家は亡くなるまで、庶民の街で過ごし、その人柄は誰からも愛された。

 昔、NHKのテレビ番組で見た僕の好きなエピソードがある。ある日、小説家の開高健が井伏の自宅を訪ねた。50歳を過ぎ、小説が書けずにいた開高は「時代がデリケートでモノを書く野蛮さが湧かない。ホンマに言うんですが、書けないんです。先生、どうすればいいでしょう」と尋ねた。

 井伏は酒を片手に悠然とした態度でこう言った。

「書けない時は何でも書くことですな。書くことがなければ、いろはにほへと、と書けばよろしい」