>>(上)より続く

震災を転機に
生き方が変わった

 芦沢啓治氏と共同で石巻工房の代表取締役を務める千葉隆博氏は、元・鮨職人という異色の経歴をもつ。もともとはログビルダーに憧れ、専門学校にも通ったほどDIYが好きだった千葉氏。卒業後は石巻に帰り家業の鮨屋を継いだが、ずっとしっくり来ない思いを抱えていた。

工房の製作現場。機械化された大量生産の対極をいく、DIY的ものづくり。手を動かして楽しむ、ものづくりの原点がある

「正直言って、飲食店の仕事が好きになれなかったんです。休日に趣味のアウトドアやDIYを続けていて、違う仕事に就きたいと愚痴りながらも、実際は将来も同じだろうと思っていました」(千葉氏)

 転機は突然やって来た。東日本大震災で鮨屋の店舗であり、住居であった建物が被災。2メートル50センチほどが水に浸かり、千葉氏は母親を亡くした。ちょうど店が銀行からの借入金の返済を終えるタイミングだった。

「母ちゃんもいねえし、もう店を再開してもしょうがないな、って。アメリカで鮨職人募集の話があったから応募して、就労許可が下りるまでの間、友人が営む料亭でバイトしていたんです。それが、芦沢さんのクライアントであり、かつ建築家やデザイナーの拠点となっていた松竹でした。その縁で石巻工房のワークショップを見に行って、ドライバーの使い方が覚束ない高校生に『そうじゃない、こうやるんだ』って教えたりして……。気がついたら工房長と呼ばれて働くことになっていた(笑)。でも巻き込まれたというより、面白そうなことに自分から近付いていったという気がしています」(千葉氏)

 結局、米国の就労許可が下りず、千葉氏は工房長として石巻に残ることを決めた。彼は今や工房の明るいリーダーとして、また、ものづくりのプロとして、なくてはならない存在となっている。