「話の通じる人」は
「言いなりになる人」とは違う

 本連載「黒い心理学」では、ビジネスパーソンを蝕む「心のダークサイド」がいかにブラックな職場をつくり上げていくか、心理学の研究をベースに解説している。

ケンカを避け、議論を発展的にする方法とは?<br />意見が異なるからといって、ケンカをする必要もなければ、相手の言いなりになる必要もない。実りのある対話を実践する秘訣とは?

 企業の人事が、新卒面接の際に重要視する資質として「コミュニケーション能力」が挙げられて久しい。ネット上でも、コミュケーションに難があることを「コミュ障(コミュニケーション障害)」というスラングで語られたりする。

 だが実際のところ、ビジネスで必要とされる「コミュニケーション能力」とは何なのだろうか。実ははっきりした解答はない。

 実際に社会に出てみると、自分の組織の内外問わず、「話の通じる人」「通じない人」がいるのがわかると思う。話の通じる人とは「こちらのいいなりになる人」ではない。「こちらの言うことを受け止めて、しかるべき反応をしてくれる人」を意味する。そういう人と話をすると、まず気分が良い。そのうえ、話をした後によりよいアイディアが浮かんだり、やる気がでたりする。つまり、その人との対話時間は自分にとって価値の高いものとなる。

 社会で求められる「コミュニケーション能力」とは上記のようなものだと筆者は考えている。自分の話を理解してくれ、そのうえで有益なアドバイスをくれる上司などはその典型例だろう。あるいは、プロジェクト開始段階から、ことの本質をつかみ、様々なアイディアを出しながら、「痒い所に手が届く」ような細やかさで遂行してくれる部下も、その例だ。

 では、このようなコミュニケーション能力を持っている人とそうではない人は何が違うのだろう。

 一つ例を紹介したい。筆者が大学院生のころ、当時の指導教官に言われたことで、今でも鮮明に記憶しているエピソードがある。

 ゼミで、ある論文を皆で読み、その内容について議論していた時である。当時筆者と同学年だったA君が、「この論文には○○の視点が欠けていますよね。だから僕はこの論文の価値は低いと思います」といった。

 それを聞いた先生は、「うん。○○の視点が欠けていると、なんでこの論文の価値は低いの?」と返した。

「先生もご存じの通り、僕らが今まで研究してきたなかで、○○の視点は最重要だという結論になったじゃないですか。だからです」。ゼミの中でも優秀で、よく発言するA君は臆せず反論した。

 先生はいった。「じゃあ、それさ、この論文の著者に話したら、受け入れてくれると思う?」

 A君は「だめでしょうね」といった。 

 先生は「そう、たぶんだめだろう。で、そういった批判は、よい批判とはいわないんだよ」 

 先生は続けた。「この論文の著者は、明らかに○○という視点をとらずに別の視点から現象を説明しようとしている。ここですべきは、その別の視点を取ったときに、どんな問題が生じるか、さらにこの別の視点でも説明できないような現象もあるということを、論理的に指摘することだ。そして、それを相手が受け入れた時点で、その問題を乗り越え、現象を説明するためには、○○という視点を持つことが重要だという指摘をすべきなんだ」。 

「A君の言いたいことはわかるし、君の主張が間違っているとは思わない。しかし、この論文を読む目的は、相手の考えと自分たちの考えをぶつけて、どちらが優っているかを競争することではない。ぶつかった先にもっと良い理論ができないかを模索することだ。だから、論文でも学会発表でも『相手が前提としていること』をむやみに否定して、コミュニケーションを絶ってしまうのではなくて、前提を受け入れた上で、生じる矛盾や問題を指摘し、それを共に解いていこうという姿勢が重要なんだよ」