社員を犠牲にして会社が存続?
罪作りな「タダ乗り社長」の弊害
このコラムの読者からのお便りで数が多い内容の1つに、「うちは社長自身がフリーライダーです」というものがある。
「それで会社が成り立つのか」と不思議に思うが、こういう会社は社員を犠牲にして、何とかもっているのだろう。
しかし、当然ながらそのような会社では、社員の愛社精神は薄れていく。今は社員の頑張りのお陰で何とかもちこたえていても、そのうちほころびが出るだろう。
社員にとってみれば、理不尽な気持ちで働かざるを得ない自分に、やるせなさを感じることになる。扱っている商品やサービスは好きなのに、会社のことが好きになれないため、辛い思いをしている社員もいる。その結果、止むなく会社を離れることになる社員もいる。
こういった社員たちにとって、この会社に勤めたことは「運が悪かった」では済まされない。人生の中に「失望」という、大きな欠損経験を与えられたのだから。まったくもって、罪作りな会社である。
読者の中には、このような経営者がいるとはにわかに信じがたい人もいるだろう。
そこで今回は、社員にとってフリーライダーに見えるのは、いったいいかなる経営者なのか、典型的な事例を紹介してみることにする。
株式会社PのK社長(仮称)は、三代目経営者である。まだ40代という若さもあり、本来社員は彼に期待をかけるはずだ。
しかし、残念ながら社員からの評判は、すこぶる悪い。「社長こそが会社の最大のフリーライダー」と陰口をたたかれている。
「とにかく仕事をしていない」「仕事ができない」そんな評判が立つK社長の働きぶりとは、どのようなものなのか?