ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
佐高 信の「一人一話」

なぜ、いま田中角栄がブームなのか?

佐高 信 [評論家]
【第46回】 2016年5月23日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

 石原慎太郎が『天才』(幻冬舎)を著し、田中角栄を称揚したことに違和感を消せない。ほとんどすべての面で対極に位置していた人物だからである。

 たとえば角栄は憲法改正を急ぐ必要はないと考えていたし、石原は現憲法を占領憲法と非難している。また石原は角栄の政敵の福田赴夫の派閥に属していた。この派閥の清和会が森喜朗や小泉純一郎を経て安倍晋三に受け継がれる。つまりはタカ派であり、田中や大平正芳らのハト派とは、特に中国との国交回復問題で激しく対立した。

角栄は民主主義

 私は『田中角栄』(中公新書)の著者、早野透と対談して『丸山眞男と田中角栄』(集英社新書)を出した。

 早野は東大法学部で丸山ゼミに入っていたが、『朝日新聞』の記者になってから、丸山を囲むゼミ生の食事会に加わった時、丸山から、「田中角栄とはどういう男か?」と尋ねられたという。

 「下品な俗物です」と言下に切り捨てる者もいたが、早野は「そうじゃありません。角栄は民主主義です。丸山先生の弟子ですよ」と反論したという。

 「戦後民主主義の上半身は丸山がつくり、下半身は角栄が支えた」は早野の至言である。

 早野は角栄を、民主主義者から更に進めて社会民主主義者とも言えると指摘しているが、石原を民主主義者とは言えない。その憲法観、ハト派とタカ派の違い、そして中国に対する態度で角栄と石原は正反対なのである。私は石原が角栄を礼讃することは角栄を侮辱するようなものだと思っている。

 それは角栄が決死の覚悟で日中国交正常化のため中国を訪ねる数日前のことだった。「目白文化村」と呼ばれた東京新宿区中落合の石橋湛山邸に角栄は足を運んだ。そして玄関ホールで車椅子に乗った湛山に会う。湛山は首相辞任後も2度訪中したこの道の大先輩である。

 特に2度目(1959年)は、長崎で日本の青年が中国の国旗を引きずり下ろす事件を起こした直後で、ピリピリした空気が漂っていた。湛山は後継首相の岸信介の反対を押し切って訪中し、周恩来と会って、国交回復の足がかりをつくった。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR
【デジタル変革の現場】

企業のデジタル変革
最先端レポート

先進企業が取り組むデジタル・トランスフォーメーションと、それを支えるITとは。

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

佐高 信 [評論家]

さたか・まこと 1945年山形県酒田市生まれ。評論家、『週刊金曜日』編集委員。高校教師、経済雑誌の編集者を経て評論家に。「社畜」という言葉で日本の企業社会の病理を露わにし、会社・経営者批評で一つの分野を築く。経済評論にとどまらず、憲法、教育など現代日本のについて辛口の評論活動を続ける。著書に『保守の知恵』(岸井成格さんとの共著、毎日新聞社)、『飲水思源 メディアの仕掛人、徳間康快』(金曜日)など。


佐高 信の「一人一話」

歴史は人によってつくられる。ときに説明しがたい人間模様、ふとした人の心の機微が歴史を変える。経済、政治、法律、教育、文化と幅広い分野にわたって、評論活動を続けてきた佐高 信氏が、その交遊録から、歴史を彩った人々の知られざる一面に光をあてる。

「佐高 信の「一人一話」」

⇒バックナンバー一覧