デジャヴの反対の「ヴジャデ発想法」で頭がよくなる

 サットンのヴジャデ発想法は、イノベーションに関わるさまざまな分野で採り入れられている。とくに熱心なのはIDEOで、ゼネラルマネジャーのトム・ケリーは、ヴジャデによって「いつもそこにあっても気づかなかったものを見る」能力が養われると書いている。

 だがじつはIDEO、あるいはサットンがヴジャデについて語る何年も前から、この用語は使われていた。アメリカ人のコメディアン、ジョージ・カーリンがお笑いのネタで使っていたのだ。

 カーリンがネタの最中に突然話すのを止め、ハッと気がついたような素振りを見せる。そして聴衆に向かって「いま自分は『ヴジャデ』を経験した」と言う。続けて、「なぜか、ここに起きていることのすべてが、かつて起きたことがないかのような不思議な感覚だ」と説明するのだ。

 カーリンは2008年に亡くなったが、彼の娘で、コメディアンでラジオのパーソナリティでもあるケリー・カーリンは、世の中をヴジャデ的に見る(ありふれた日常を何か変わった、魅力的なものを目撃したかのように観察する)方法は、まさにジョージが人生を通じて自分のネタを考えていたやり方にほかならないと感じている。

「見慣れた光景が異質な世界になって新鮮に見えるとき、それは頭の中のファイルフォルダの見たこともなかった部分に入り込んだような感覚です。そうなると、ほとんどだれも持っていない視点を持てるようになるのです」

 ジョージ・カーリンはその視点を利用して、コメディにおける「なぜ派」とでもいうべき日常生活の観察をベースにしたユーモアを発展させた。「野球とか、犬とか猫とか、冷蔵庫の前にだれかが立っている立ち方とか、そういった日常生活を観察して考えるのです。『なぜ私たちはこれをこんなやり方でやっているんだろう?』って」とケリーは説明してくれた。

 ジョージ・カーリンは私たちの多くが当たり前のこととしている日常の振る舞いを研究し、矛盾点を調べ、何らかの説明をしようとしたのだ(そしてたいてい、答えは見つからなかった)。「たとえば家の鍵をなくして探しているようなとき、父は、『なぜ人は同じところを何度も何度も探してしまうのだろう』と不思議がっていました」

 自分のポッドキャスト番組「アメリカン・ドリームからの目覚め」でコメディアンによくインタビューをするというケリー・カーリンは、コメディアンには、ヴジャデの視点を持つ習性があると考えている。

「ほとんどのコメディアンは自分が周囲の人たちになじんでいないように感じながら育っています。クラス内のピエロ、アウトサイダーだったのです。もしかしたら学習障害で、教室ではうまくいかなかったのかもしれません。アウトサイダーにとっては、一歩下がって観察し、みんなが何をしているんだろうと不思議に思うのは自然なことです。そしてそのうちに、教室が自分の話すネタをつかめる場所になっていくわけです」

 ジョージ・カーリンは、不合理な行動や理屈の通らないことがあるとどうしても目が行ってしまう、気になってしょうがないので、できれば気づかずに済ませたいと思うこともあると語っていた。