「ぶつからないクルマ?」で知られる「アイサイト」は、スバルの技術者たちが20年かけてコツコツ研究した技術の結晶だ。技術者たちを支えたのは実にシンプルな動機だった――「事故を減らしたかっただけです」。自動車会社の技術者としてのその思いに、吉永社長は富士重工業の価値を見出す。そして、アイサイト大ヒットの立役者となった。(コンサルティング編集部 松本裕樹)

国内販売苦戦の逆境が生んだ
アイサイトの大ヒット

 第1回で話に出た「アイサイト」ですけれども、20年間ずっと技術開発していて日の目を見なかったと。吉永さんご自身も実はアイサイトの商品化には大反対していた一人ですよね。そのアイサイトにいかに目をつけヒットにつなげたのでしょうか。

 アイサイトが大ヒットしたのは2010年のことです。その約1年前、「レガシィ」がフルモデルチェンジし、先ほど言った通り、北米市場を見据えてボディサイズを一回り大きくしました。国内は苦戦を強いられ、ディーラーからはサイズを元に戻し、価格も下げてくれとの要望が高まりました。

富士重工業 代表取締役社長
吉永泰之

1954年東京都生まれ。1977年成蹊大学経済学部卒業後、富士重工業入社。主に国内営業および企画部門を担当する。2006年戦略本部長、2007年スバル国内営業本部長、2009年取締役兼専務執行役員。2011年6月に社長就任後は次々と改革を断行し、売上高、各利益ともに4期連続で過去最高を更新。温和な表情だが、飛び出す言葉は時に鋭く手厳しい。三面六臂(さんめんろっぴ)の阿修羅像の写真を常に身近に置く。

 私は国内営業本部長として2010年3月、全国のディーラー社長が集まる会議の席上、販売方針を打ち出さなければなりませんでした。

 しかし、ボディサイズを変えることはできないし、価格を多少下げたところで販売状況が改善できるとも思えない。どうしようかと社内で会議しているうち、社員の一人がアイサイトに注目したらどうかと言いました。

 でも私は同意しませんでした。「スバル車を買う人の多くは、そもそも運転が好きで、運転に自信がある人たちだ。そういう人たちに自動ブレーキなんて必要ない」と自信満々に言い切ってました(笑)。

 その考えがある日を境にひっくり返る。

 はい。いろいろと議論したのですが、結局、何の案も出てきませんでした。

 販売方針を発表する会議の前週末だったと思いますが、部下たちが私に「とにかく一度アイサイト搭載車に乗ってほしい」と言うので、仕方なく群馬の工場に行き、ぶつぶつと不満を言いながら乗ってみました。

 で、どうでしたか。

 車が障害物にぶつからないで止まったんです(笑)。

 こんな車に乗ったのは初めてですよ。「これ凄いじゃない」と思わず声を上げてしまいました。そこからは私がインタビュアーと化して、開発担当者に話を聞きまくりました。あの部下たちにはいまでも感謝してますね。

 それこそ“衝撃的な体験”だったと。

 はい。インパクトがありました。とはいえ、その場で判断するわけにはいかないので、土・日曜日に自宅でじっくり考えました。商品化して勝算があるかどう か、最後まで自信がありませんでした。しかし、値下げなどの小手先の対策ではなく、まったく異なる切り口の施策を打ち出さなければと思っていましたし、他によい選択肢はないのですから、腹を固めました。

 そして週が明けて、全国のディーラー社長たちの前で、「アイサイトでいきます」と発表したんです。当社の社員たちは「嘘だろ、この人」っていう目で私を見てました(笑)。

 その時点では、アイサイトが本当にヒットするのか確信がなかったんですか。

 全然ありませんでした。