平日は都会で働き、週末は田舎で過ごす。東京生まれ、会社勤め、共働き、こども3人。「田舎素人」の一家が始めた「二地域居住」。彼らが選んだ田舎の家は、築百数十年の古民家だった。そこで、東京家族はどんな新しい日常を綴るのだろうか?今、大きな注目を集める田舎暮らし奮闘記『週末は田舎暮らし』から、一部を抜粋して紹介する。

◆これまでのあらすじ◆
東京出身の「田舎素人」だが、「二地域居住」に憧れる一家。たくさんの苦難を乗り越え、ようやく「運命の土地」を手に入れた。そして、生涯忘れられないであろう、田舎での初めての日をとうとう迎えることに。だが、百数十年にわたって他人の歴史が刻まれた家に、一家の心を落ち着けられる空間はあるのだろうか……。

歴史観のある空気を上書きする「こどもおばけたち」

 忘れもしない、2007年1月吉日。

 家の引き渡しは、よく晴れた寒い冬の日でした。

 売り主さんとその親戚の方々が前日より集まり、先祖代々住み続けてきたこの家での最後の1泊をしていました。

 わたしたちが到着すると、最後の最後にみんなで惜しむように家の中をぐるりと歩きまわり、靴を履いてはまた振り返り、じゃあ、と出ていらっしゃいました。

「分からないことがあれば、連絡ください。これからどうぞよろしくお願いします」
「精いっぱい、頑張ります」

 と言い交わし、手を振って車を見送るときの、ずんと胸にくる重み。

 ついにこの家が自分たちの家になったという晴れがましさよりも、大事なものを本当に引き継いでしまった、そしてとうとう未知の生活が始まってしまったという身の引き締まる思いの方が先立ち、うぉぉぉーっ!と武者震い。

 ほんとに、はじまっちゃったんだもんね。

 週末、田舎暮らし。

 振り返ればやはり、別荘を持つのとは違いすぎるスターティングです。優雅さも華々しさもなく、あるのは気合いと高揚感。自分たちはおろか、まわりのほとんど誰もしていなくて定型のイメージを持つことのできない「週末、田舎暮らし」というライフスタイル。

 これをはじめることに対する思い入れや不安がこれまでの年月の分たっぷり蓄積されていて、それが燃料となってエンジンがかかり、この日、低い唸り声をあげながらようやく走り出したのです。ここまで長かった……でも、これからの方がもっとずっと長い。

 さて、あらためて誰もいなくなった家の中に入ると、以前の内覧時よりずっときれいに掃除されていて、生々しくも整然と暮らしの設しつらえが残されていました。

 売り主さんから伝えられていたとおり、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、コタツ、そして食器や布団、納屋の中には草刈り機や農機具などなど、あらゆる生活必需品をそのまま置いて退去されていました。

 本当に、人だけ交代したような状態。こちらは家族の衣服や洗面道具など旅行のようにちょっぴりの荷物を家に入れると、ひとまず入居は終了です。

 まだその空気に馴染みきらず、コタツの前にちょこんと座って部屋をきょろきょろと見回します。壁に貼ってある長州小力のサインとか、手書きのバス時刻表や灯油屋さんの連絡先とか、神棚に置きっぱなしのダルマとか、妙に細かい部分に目が留まる。

「とうとう我が家になったなあ!」などと声に出して言ってはみるものの、劇中劇でのセリフのように何か浮ついた声は自分の心にも残らず消えていきます。

 鴨居の上に鎮座していた白黒写真の遺影たちだけは、売り主さんに引き取られてなくなっていました。

 それでも、がらんとした室内には百何十年分の質量のある空気が立ちこめ、今ひょいと侵入したようなわたしたちの存在は耐えられないほど軽く、雇われ留守番人のように所在ありません。正真正銘、この家の所有者になったにもかかわらず……。