世界の哲学者はいま何を考えているのか――21世紀において進行するIT革命、バイオテクノロジーの進展、宗教への回帰などに現代の哲学者がいかに応答しているのかを解説する哲学者・岡本裕一朗氏による新連載です。いま世界が直面する課題から人類の未来の姿を哲学から考えます。9/9発売からたちまち重版出来(累計2.1万部)の新刊『いま世界の哲学者が考えていること』よりそのエッセンスを紹介していきます。第11回は世界に広がる格差是正の運動および、そもそも格差が悪いことなのかを思想的に検討します。

ピケティ、ライシュからはじまった
「格差」是正の運動は正しいのか

現代の資本主義はどこへ向かっているのか─この問題を考えるために、フランスで2013年に出版されたトマ・ピケティの『21世紀の資本』を足がかりに考えてみましょう。日本においても『21世紀の資本』はベストセラーとなりましたが、本書でピケティが訴えている内容をきわめて大まかにいえば「世界的な格差の拡大」です。

『21世紀の資本』は記憶に新しいアメリカでの「オキュパイ・ウォールストリート」運動の理論的支柱にもなりました。ピケティ以外にもビル・クリントン大統領時代に労働長官を務めたロバート・ライシュも明確に「格差是正」を打ち出しており、アメリカでは格差問題は最も重要なイシューの一つといえそうです。

ちなみにライシュと言えば、『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』(1991年)において、人口2割の「シンボリック・アナリスト」という階層が、アメリカの富を独占するという、「格差社会」の予言的な思想家として知られています。その彼が、2012年、アメリカの大統領選のさなかに書いたのが、『格差と民主主義』でした。

この著作でライシュは、アメリカで1970年代以来広がっている格差に対して、「怒り」を込めて書いています。この「怒り」は、2011年ごろから、「1%対99%」という対比で示され、「ウォール街を占拠せよ!」(オキュパイ運動)というスローガンで表現されてきました。ピケティがデータによって証明しているように、1970年以後のアメリカでは、経済的な格差は拡大するばかりなのです。

そうした格差拡大のさなかに、リーマン・ショックを始めとした大不況が重なったのですが、政府はこの不況の原因を作り出した金融界に、なんと国民の税金を使って資金援助をしたわけです。しかも、経営のトップたちが巨額の報酬を得る一方で、一般の人々は退職を余儀なくされ、失業しても何も保障されませんでした。そうした状況を、ライシュは同書で次のように書いています。

ウォール街の大物たちは納税者に救済された後、かつてない繁栄を極めている。だが、私たちの暮らし向きは悪化するばかりだ。CEOたちは平均的労働者の賃金の300倍以上を手にしている。(中略)なのに、平均的労働者のほうは仕事や賃金を失ってきた。賃金に対する企業利益の割合は、世界大恐慌の前以来、最高水準に達している。製薬大手のメルクは従業員1万6000人を一時解雇(レイオフ)し、さらに2万8000人の追加実施を発表したが、同社会長は2010年に1790万ドルの報酬を受け取っている。バンク・オブ・アメリカは3万人の解雇を発表する一方で、CEOは1000万ドルを手中に収めた

ライシュの議論によれば、格差拡大の原因は、大企業と政府が結びつき、政府が「大企業やウォール街、金権政治家が望むことに力を入れている」からです。ピケティは『21世紀の資本』において、格差拡大にかんして、「r(資本収益率)>g(経済成長率)」から説明しています。それに対して、ライシュは、経済界が政治と結びつき、「富裕層」に有利な政策を政治家が実施したからだ、と考えるのです。

端的に言えば、格差拡大は、政治に原因があるわけです。こうして、ライシュは「1%(大企業)のための政治」から、「99%(国民)のための政治」への転換を要求することになります。

ピケティやライシュの議論では、現代の資本主義社会では経済的な格差が大きいだけでなく、その格差が増大しつつあると指摘してきました。この事実は、たしかに直観的にも分かりやすく、人々に訴える力をもっています。じっさい、アメリカ大統領バラク・オバマでさえも、最近の一般教書演説で、「所得の格差(不平等)」が「われわれの時代の決定的な問題だ」と述べているほどです。ごく少数の富裕層(1%ないし10%)が湯水のようにお金を使い、多くの国民(99%ないし90%)が質素な生活を余儀なくされるのは、是正すべきだと考えたくなります。

しかし、格差(不平等)は、どうして悪いことなのでしょうか。このような問いを出すと、「そんなことは当たり前だろう!」と叱責されてしまうかもしれません。あるいは、差別主義者として糾弾されることもあるでしょう。けれども、「格差(不平等)=悪」と前提する前に、一度立ち止まって、そもそも格差(不平等)をどう理解するか、考えてみなければなりません。なぜなら、ピケティにしてもライシュにしても、格差を完全に否定していないからです。それにもかかわらず、格差そのものが「悪い」ことのように見られがちです。