生前、ピカソは言ったそうだ。「私は、対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」。僕たちは、お金の正体を知らなければならない。そうでなければ、僕たちは自分の人生を自由に創造し、幸せに暮らすことがますます難しくなるだろう。

 ふたりの天才画家、ゴッホとピカソの偉大な名声なら、誰もが知っているだろう。だが、ふたりの生前の境遇には、天と地ほどの差があった。

 ゴッホの人生であまりに有名なのは、多くの職を転々としながら苦労して画家となり、ゴーギャンとの共同生活が破たんした後、みずからの耳を切り落としてしまったエピソードであろう。ゴッホは、弟テオの理解と援助のもとで創作活動を続けることができたが、その2000点にものぼる作品のうち、生前に売れた絵はわずか1点のみだった。

 ピカソは違った。その卓越した画才もさることながら、私人としても成功した。美術教師だった父親のもとで7歳から熱心な教育を受けたピカソは、幼少期から天才の片鱗を見せつけた。教えていた父みずからが「もう息子にはかなわない」と感じ、二度と絵筆を握ることがなかったというエピソードは、その才能の非凡さを物語っている。

 91歳でその生涯を閉じたピカソが、手元に遺した作品は7万点を数えた。それに、数ヵ所の住居や、複数のシャトー、莫大な現金等々を加えると、ピカソの遺産の評価額は、日本円にして約7500億円にのぼったという。美術史上、ピカソほど生前に経済的な成功に恵まれた画家、つまり「儲かった」画家はいない(詳しくは西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』新潮社、2012年参照)。

ピカソのセンスは芸術以外でも超一級だった

 では、両者の命運を分けたのはなんだったのか?

 それは、ピカソのほうが「お金とは何か?」に興味を持ち、深く理解していた点ではなかったか。というのも、ピカソがお金の本質を見抜く類まれなセンスを持っていたことが窺える逸話が、数多く残されているのである。