イェール大学でPh.D.(博士号)を取得した脳神経科学者であり、マッキンゼーのコンサルタントとして活躍し、現在はヤフー株式会社でCSO(チーフストラテジーオフィサー)を務める安宅和人氏。そして、ベンチャー企業の経営者からマッキンゼーのコンサルタントを経て、オックスフォード大学でPh.D.を取得し、現在は立命館大学経営学部准教授として教鞭を執る琴坂将広氏。
マッキンゼー時代をともにし、それぞれの専門領域を超えて活躍する安宅氏と琴坂氏が、さまざまなトピックについて語る特別対談。対談は全3回。

9.11をきっかけに、ふたたびマッキンゼーへ

琴坂 私は、修士課程に入ったとき、研究が肌に合わなかったらコンサルティングに出戻りもありかなと思っていました。結局、博士号も取って、私はそのまま研究者の道に進んだのですが、安宅さんはそこで違う道を選んでいます。それはなぜですか?

安宅 僕は、9.11のテロがきっかけで帰ってきたんですよ。いろいろあったけれど、まあ、結果的には幸せに学位を取り、子どもも生まれて、楽しくポスドクをやっていました。そこに9.11があって、毎日人が泣いている電車に乗り、人が泣いているのを見ては自分も泣き、それに耐えられずに帰ってきたんです。これ以上、この国にいたら正気を失うと。

 振り返ってみると、人生の節目となる選択は、毎回それなんだよね。これが続くと精神的にまいるかもしれない、と思うと場所を変えています。マッキンゼーに入るときもそうだった。そのときの研究は、さまざまなことを総合すると、このまま続けるのは厳しいかなと思っていました。

 そのとき、たまたまアルバイト的にリサーチャーを体験したマッキンゼーから「安宅さん、うちに来なよ。2、3年、気晴らしでやったらいいじゃない。アカデミアにはその中で考えればいいし」と言われて移りました。

琴坂 そのときは、いずれは大学に戻るつもりでしたか?

安宅 はい。もともと大学に戻らないといけない、学位を取らなければという気持ちは強くて、本当に3年くらいで戻るつもりでした。でも、3年目の準備すべきタイミング(秋)は、そのとき入っていたプロジェクト内であまりにも外れられない役割に就いていたから、それどころじゃないまま過ぎてしまった(笑)。

 僕の先生はすでに退官されるタイミングだったこともあって、「大学に戻って学位を」という話を相談したところ、先生からもアメリカに行くことを勧められて。なので、「1年後のこの時期、僕は1ヵ月休みを取る」って宣言しました。結局、4年目の秋、2週間しか取れなかったんだけど(笑)。

「1年前からの休みが取れないなんて、オレの人生をどうするんだ!」とは思いながら(笑)、2週間で頑張ってGRE(Graduate Record Examination)、TOEFLの勉強をしつつ、入学願書を用意して、なんとかイェール大学の博士課程に潜り込むことができました。

琴坂 仮の話になってしまいますが、もし安宅さんが研究者を続けていたら、どうなっていたと思いますか?

安宅 結構よくやっていたんじゃないかと思う。あのまま続けていたら、ちょっとした賞くらいは取れた可能性がなくはないかもと思うよ。そのくらいおもしろいことやっていたと思っています。

琴坂 テロがなければアメリカに残っていましたか?

安宅 そうだったと思う。日本でのサイエンスの恩師の教えもあって、永住するつもりで行きましたからね。