ユニークな才能の持ち主に、子どもの頃はどのような教育を受けてきたのかを聞く本連載の3回目では、チームラボの猪子寿之代表に話を聞く。プログラマーやエンジニア、デザイナーなど、独特なスペシャリスト集団を率いる天才は、どのように才能を磨いてきたのだろうか。
(聞き手は、子どもの学習支援や成人向け就労支援事業などを行う株式会社LITALICO代表の長谷川敦弥氏。構成は書籍オンライン編集部)

じっくり考える
中学受験問題が得意だった

猪子寿之チームラボ代表インタビュー<br />「逆・玉の輿を狙って東大に行った」猪子寿之(いのこ・としゆき)
チームラボ株式会社代表取締役。1977年、徳島県生まれ。1年間の渡米を経て、東京大学工学部応用物理計数工学科卒業後、2001年3月にチームラボを創業、現職。
チームラボ
http://www.team-lab.com/

長谷川 猪子さんは小学校の頃、得意科目、不得意科目などありましたか。

猪子 算数とか理科が好きでしたが、特に飛び抜けてできたということはないです。公文式には通っていました。公文式に来ている子の間で普通、というところでしょうか。

 中学受験の算数はよくできましたね。国立中学校を受験したのですが、中学受験の問題では、一問あたりにかけられる時間が増えます。普段のテストだと一問10秒ぐらいで解かなきゃいけないのが、一問20分ほどかけることができる。そうなったときだけ急激に成績が良くなりました。パッパッと解くような問題よりも、じっくり考える問題の方が得意でしたね。

長谷川 その後はどうでしたか。

猪子 高校に上がってからは、数学や物理が好きでした。特に物理の古典力学ですね。日常のよくわからない現象を抽象化して再利用可能な理論に落とし込んだり、理論をもとにして日常の現象を予測するというところに楽しさを感じていました。

長谷川 そのあと猪子さんは東京大学に行かれるわけですが、何か東大を目指すきっかけはあったのでしょうか。

猪子 高校生のあるとき、たまたま雑誌で日本の時価総額トップ20についての記事を読むことがあったのですが、そこで愕然としたんです。ランキングのほとんどが元国営、旧財閥か規制産業で占められているんです。これはおぞましい社会だなと。戦後、日本のエンジニアが安くていい車やバイク、ウォークマンを作って稼ぎまくっていたはずなのに、その稼いだお金を国内で回している企業の方がエンジニアより得をしているわけです。

 このおぞましい社会に入り込んでいくには、相当の覚悟がないとダメだと思って、いろいろ調べたんですよ。そしたら、ある大手企業で三代連続、婿養子が社長になっていたのを見つけたんです。婿は全員東大出身で。どうやら東大を出て逆・玉の輿に乗り、会社の社長になるしか社会に滑り込む方法がないと思って東大を目指すことにしたんです。高校2年生のころです。

長谷川 逆玉狙いで東大に行ったと(笑)。

猪子 そう(笑)。このおぞましい社会に滑り込むにはそれしかないと。

受験勉強は
「考える」訓練の場

長谷川 受験勉強は、そこから本腰を入れてやったんですか。

猪子 そうです。ただ受験のためだけの勉強というのはもったいない気がして、それなら受験を「考える力」を鍛える機会にしようとしていました。公式を覚えるだけだと、あまり次につながらないような気がして。偉大な先人が見つけたような公式を僕も見つけてやろうとしていましたね。結局無理でしたが。

長谷川 考える力を鍛えるために勉強をしていたと。

猪子「考える」こと自体に楽しみを感じていました。だから、いろんな言葉とか公式を覚えないと解けない積分のような分野は苦手でした。逆に確率はあまり公式がなく、考えればいいところがあるので好きでした。一番得意だったかもしれません。古典物理も法則が4つぐらいしかなくて、現象が直感的にわかるところがあるので好きでしたね。