舛添氏はなぜ区別がつかなくなったのか

 東京都の舛添要一知事の政治資金の使途をめぐる「公私混同」疑惑は、知事が「元検事の弁護士2人に調査を依頼した」と公表してからは「第三者の目」を強調するばかりでいっこうに晴れません。政治資金規正法という、とても政治家に甘い法律について「グレーだが黒ではない」という結論を「第三者」である法律家からもらい、法律的にはOKということで道義的責任を回避しようとしているのでしょう。

 舛添氏は参議院議員、厚生労働大臣、党(新党改革)の代表、知事という権力の座にいるうちに、元々の性癖もあり、「国民や都民が支払った税金」と「自分で稼いだお金」の区別がつかなくなり公私混同が当たり前になったのでしょう。自分のお金は極力使わず、税金や政治資金などの「他人のお金」はふんだんに使うという、できの悪い企業経営者やサラリーマンのような、辟易するようなタチの悪さを感じます。

舛添問題に学ぶ、トップが肝に銘じたい公私混同の境界線小宮一慶
小宮コンサルタンツ代表

 選挙制度を否定するわけではありませんが、私たちが選挙を通じて首長や議員を選ぶことはとても難しいと痛感しています。今回のようにクローズアップされない限り、その人間性は分からないからです。

 公私混同を追及されて号泣した兵庫県議がいましたが、会社の面接では確実に落とされるレベルだし、どこかで出会っても友達にすらならないでしょう。ところが選挙では当選してしまう。

 舛添氏は議員になる前はマスコミに登場していて選挙民の目にさらされていた分、まだましなのかもしれませんが、それでも、人間性まではなかなか分かりません。頭は良いかもしれませんが、生き方や人生の勉強をしていない人は、やはり何が根本的に正しいかが分かっておらず、自分の欲望を正しいと勘違いしたり、安易に流れがちです。

 舛添氏は東大の教員をするなど、経歴を見れば頭は良さそうですが、今の時代は5万円のパソコンに勝る頭脳を持っている人はいません。そんなことよりも、人の上に立つ人は、人間のレベルが重要なのです。

 日本の場合、身辺調査を行ったはずの大臣クラスでもスキャンダルが発覚することが珍しくありませんが、アメリカ大統領の場合は、就任後には、スキャンダルはまず出ません。

 マスコミを抑えているのではなくて、今進行している共和・民主党などの代表選出のプロセスや今後の大統領選を見れば分かるように、ライバル陣営が徹底的に競争相手のスキャンダルを探してつぶしにかかるからです。

 日本での県議や市議クラスのスキャンダルまで探すことは難しいでしょうが、最も権力のある大統領でもスキャンダルを暴かれるという意識が浸透すれば、その下の議員たちも襟を正すはずです。