米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の移設問題が、いよいよ紛糾している。民主党が、すでに合意された移設案の経緯見直しを打ち上げたからだ。先週日本で行なわれた日米首脳会談で、オバマ大統領は約束の履行に理解を求めた。それに対して、鳩山首相は「結論を急ぐ」と明言したものの、引き続き計画を見直す可能性も示唆している。普天間問題は、何故ここまで紛糾してしまったのか? 安全保障政策のブレーンとして、前政権で普天間問題に深く関わった森本敏氏が、問題の根幹と民主党が選択すべき道を鋭く斬る。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也、撮影/宇佐見利明)

森本敏
もりもと・さとし/安全保障研究家、前防衛大臣補佐官。1941年、東京都生まれ。防衛大学卒業後、65年航空自衛隊入隊。79年外務省入省。退官後は野村総合研究所主席研究員を経て、2000年より拓殖大学大学院教授。日本における安全保障研究の第一人者として知られる。著書・テレビ出演多数。

――普天間基地の移設問題は、今や日米間の最懸案事項となっている。何故ここまで紛糾しているのか?

 まずは、わかり易く経緯を説明すると、普天間基地移設問題は、1995年に発生した米軍兵士による「少女暴行事件」に端を発している。

 それを機に、米軍基地に対する大規模な反対運動が起き、「沖縄に75%もの在日米軍基地が集中している事態を解消する」という目的をもって、日米両国は同年「SACO(沖縄に関する特別行動委員会)」を発足し、本土も含めた米軍基地の整理縮小を議論し始めた。

 その際、最優先事項とされたのが、人口密集地域のど真ん中にある普天間基地(普天間飛行場)だった。つまり普天間は、沖縄基地の整理縮小問題の象徴と見なされるようになったのだ。

 翌96年4月に「代替施設を建設して移行する代わりに、向こう5~7年で普天間を返還する」という日米間の合意が発表され、そのための具体案が検討され始めた。

 そして97年には、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ地域が移設候補地とされた。

 2003年以降に米軍再編問題が出て、普天間基地問題が最優先課題になったが、移設先の調整が難航した普天間問題だけは、棚上げにされたままだ。