ドラッカーは、マネジメントとは「企業をはじめとする個々の組織の使命にとどまることなく、1人ひとりの人間、コミュニティ、社会に関わるものであり、1人ひとりの位置づけ、役割、秩序に関わるものである」とした。“日本での分身”といわれた上田氏に、その要諦を聞いた。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部 池冨 仁)
上田惇生(うえだ・あつお) 翻訳家/ドラッカー学会代表 1938年、埼玉県生まれ。翻訳家。ものつくり大学名誉教授。立命館大学客員教授。ドラッカー学会代表。渡米時代を経て慶應義塾大学卒業。長く経済団体連合会に勤務。ドラッカーから最も信頼された日本人で、主要作品すべての翻訳を手がける。 Photo by T.Ishikawa |
─今から40年前の1969年に書かれた『断絶の時代』において、ドラッカーは、世界で初めて「歴史には大きな断絶があり、今や社会全体が一つの大転換期に突入した」と喝破しました。
そう、私たちの社会は、まさに彼が言うところの大転換期を生きています。ドラッカーは、「断絶の時代」を、グローバル化の時代、多元化の時代、知識の時代、起業家の時代と捉えました。先進国を襲った群発地震のような大転換期は、今でも続いています。
─その後、ドラッカーは、次々と著作を発表して、歴史の大きな断絶を追い続けます。
1980年の『乱気流時代の経営』では、世界に対して「バブル経済に気をつけろ」と警鐘を鳴らしました。89年の『新しい現実』では、「世界は新しい世紀に入った」と指摘。93年の『ポスト資本主義社会』では、大転換期は2030年くらいまで続くとしました。
その時、ドラッカーは、「社会は数十年をかけて、次の新しい時代のために身繕いする。世界観を変え、価値観を変える。社会構造を変え、政治構造を変える。技術や芸術を変え、機関を変える。やがて50年後には、新しい世界が生まれる」と洞察しました。
経営学の本でありながらも
儲かるコツは書いていない
ドラッカーは、世界中の企業経営に与えた影響から「経営学者」として知られるが、本質は「社会生態学者」である |
─上田さんは“ドラッカー翻訳歴35年”ですが、そもそもどのような経緯で、ドラッカーの翻訳に携わるようになったのですか?
35歳の時ですね。当時、私は経団連事務局で植村甲午郎会長の秘書をしていました。
経済の勉強には経済書や経営書の翻訳がよいと先輩に言われて、それまでC・N・パーキンソンやE・ボーゲルの翻訳をしていましたが、ドラッカーのものは『現代の経営』を読んでいたぐらいでした。
そこへ『マネジメント』の翻訳チームに入らないかと声がかかったことが、その後の長い関わりのキッカケとなりました。
ドラッカーの本の中で、最もブ厚い『マネジメント』は、原著が800ページで、それを訳した日本語版は1300ページの上下二冊になりました。しかも、集団による翻訳作業は難しいものです(※現在は、上中下の三分冊になっています)。
そこで私は、ドラッカーに手紙を書きました。「だいたい、あの本は厚過ぎる。重複も多い。中身をさほど変えずに薄くできる。まず、英語で薄くしたものを見せるので、私に翻訳させてほしい」と志願しました(笑)。