90年代初頭、NHKを中心とする日本のテレビ業界は、次世代テレビの規格として、アナログハイビジョン方式と呼ばれる高品位放送の技術で世界に打って出ようとしていた。NHKだけでなく郵政省も電機メーカー(特にソニー)も、世界中のテレビを日本発のハイビジョンで埋め尽くす夢を描いたのである。
ところが、日本が自動車に加えてテレビでも世界を席巻しかねないと恐れた米国は、対抗策としてデジタル方式を打ち出した。
すると郵政省はあっさりとアナログハイビジョンを捨て、デジタル方式の採用に傾いていく。放送が日米貿易摩擦の火種になることを恐れたのである。そして97年、郵政省に「地上デジタル放送懇談会」といわれる組織が設置され、翌年報告書が提出された。デジタル化の意義や経済効果(10年間で約212兆円)などが盛り込まれた推進計画で、現在の流れはここでできあがった。
振り返れば、日本のアナログ方式が純粋な技術競争で敗れたわけでもないし、デジタル方式のほうが明らかに業界や視聴者のためになるという明確な理由付けがあったわけではない。
現在、放送のデジタル化の目的として、総務省が錦の御旗として掲げているのは「電波の有効活用」だ。携帯電話利用台数はいまや1億台に迫ろうとしており、電話の帯域が逼迫している。「放送のデジタル化で余った周波数帯域を、成長著しい移動体に使える」と総務省は説明する。だが、こうした話が出てきたのは、携帯電話が急速に伸びたこの10年以内の話だ。都合良く出てきた後付けの理由に過ぎない。
要するに、最初から視聴者不在の決断だった。