橘玲の日々刻々 2020年4月13日

新型肺炎であらわになった
ヒトの本性は「自分さえよければ他人はどうでもいい」
【橘玲の日々刻々】

 生き物であるヒトにとって、もっとも根源的な欲望とはなんでしょう? それは「生きたい」です。

 「生き死には神がお決めになるもの」と説教する宗教家や、「他人のために生きるべきだ」と語る篤志家もいるかもしれません。しかしひとたび感染症が蔓延すると、社会の表面を覆っていた薄いヴェールがはがされて「ヒトの本性」が露わになってきます。

 「人間は“利己的な遺伝子”によって設計されている」という進化論の考え方は、「リベラル」なひとたちからずっと嫌われてきました。進化の頂点に立つ人間は、“動物”とはちがって、利他性という素晴らしい資質をもって生まれたというのです。

 この「美しいお話」はとても人気がありますが、いま大きな挑戦を受けています。ヒトの本性が利他性なら、ドラッグストアの長蛇の列や、あっという間に空になってしまうスーパーの食品売り場をどう説明できるのでしょう。「買い占めをするとほんとうに必要なひとが買えなくなる」とどれほど「道徳」に訴えても、利他的な行動などどこからも現われず、ますます行列が長くなるだけです。

 新型肺炎でわかったのは、「このままでは死んでしまう(かもしれない)」という圧力をほんのちょっとかけただけで、ひとの行動は激変するということです。それに対して、利他的な方向に行動を変えるのはきわめてむずかしい。なぜなら、ヒトの本性は利己性(自分さえよければ他人はどうでもいい)だから、という話になります。

 利他性というのはおそらく、「平和でゆたかで安全」な世の中ではじめて可能になるものなのでしょう。幸福で、守られていて、経済的な不安がないときに、わたしたちはようやく「そういえばほかのひとはどうなんだろう?」と考えるようになるのです。逆にいえば、この条件がひとつでも欠けるとヴェールが裂けて、利己的な本性が前面に出てきます。

 疫学的には、人口の7割程度が感染し抗体をもつことで自然に免疫を獲得する(集団免疫)か、ワクチンが開発されれば感染症は克服できます。とはいえ、集団免疫のレベルに達するまでには膨大な死者が予想され、ワクチン開発までには最短でも1年半かかるといわれています。

 その間、生命を守りながら経済活動を再開するための方策として抗体検査が議論されています。血清検査で新型肺炎の免疫をもっていることがわかれば、感染のおそれはないのですから、免疫のないひとの代わりにハイリスクな仕事(医療や介護)をすることができます。こうして社会全体の感染リスクを下げれば、マスクなどの保護具を供給することで、抗体をもたないひとも仕事に復帰できるというのです。

 よいアイデアのようですが、これがうまくいくには、ヒトの本性が利他的であることが前提になります。「抗体証明」をもつひとは稀少なので、あらゆる業種から高給で勧誘されるでしょう。そのときこのひとたちは、さして条件のよくない(社会的にも評価の低い)「汚れ仕事」をよろこんで引き受けるでしょうか。

 抗体検査が実現したとき、わたしたちはヒトの本性がどのようなものか、あらためて見せつけられることになるかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2020年4月6日発売号に掲載

 

橘 玲(たちばな あきら)

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 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)。

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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