橘玲の日々刻々 2020年4月20日

私たちはいつ冤罪で刑務所に
放り込まれるかわからない国に生きている
【橘玲の日々刻々】

 2003年5月、滋賀県の病院で男性患者(当時72)が死亡します。その2カ月後、看護助手をしていた20代の女性のもとに、滋賀県警の若い男性刑事から電話がかかってきました。刑事は「亡くなった患者に責任を感じないのか」と強い口調で出頭を求め、看護助手は取調室で患者の遺影を見せられ、「人工呼吸器が外れてアラーム音が鳴ったのに適切な処置を怠った」とはげしく叱責されました。

 怖くなった看護助手が「鳴った」と認めると、話はさらに奇怪な方向に転じていきます。当初は業務上過失致死だったのに、人工呼吸器のチューブを引き抜き、酸素の供給を遮断して殺害したことにされたのです。

 裁判で元看護助手は無罪を訴えますが最高裁で実刑が確定、刑務所に12年間収監されました。2017年に満期出所すると、家族や支援者に押されて再審請求を起こし、その過程で、警察が「患者は呼吸器のチューブ内でたんが詰まり、酸素供給低下状態で死亡した可能性が十分にある」と鑑定医が述べた捜査報告書を作成していたことが明らかになりました。驚くべきことに、警察は都合の悪いこの報告書を検察に送っていなかったのです。

 元看護助手の弁護を担当した井戸謙一弁護士によると、彼女には「発達障害の一つであるADHD(注意欠陥多動性障害)と軽度の知的障害」があり、若い担当刑事は「(自供のあと)急にやさしくなって、彼女の話を熱心に聞き励ますようになった」といいます。「若い男性と親身に話をした経験がなかった彼女は、その若い刑事に恋愛感情を抱きます。(中略)刑事への関心を引き付けたいという思いと(略)自責の念が入り交じり、パニックになって『チューブを抜いた』と述べてしまったのです」(「無実の罪晴れてなお」朝日新聞2020年4月1日)。

 警察ではマスコミで大きく報じられる事件が「手柄」とされており、所轄にとっては、たんなる業務上過失致死(うっかりミス)より「殺人事件」の方がずっと魅力的です。取り調べで「ホシを落とす」ことが“一流のデカ”の証明とされてもいたのでしょう。若い男性刑事は発達障害の被疑者を操って殺人事件をでっちあげ、上司もそのことを知っていて、ウソがばれそうになって組織ぐるみで隠蔽したのです。

 再審での無罪判決のあと、滋賀県警は「無罪を真摯に受け止め今後の捜査に生かしたい」とコメントしただけで、無実の市民を冤罪で12年間も刑務所に送り込んだことへの謝罪はいっさいありませんでした。大津地検にいたっては、「自白の任意性を否定した指摘には承服しかねる点も存在する」と判決を批判し、まるで警察にだまされた自分たちが「被害者」のような態度です。

 カルロス・ゴーン日産元会長は逃亡先のレバノンから、取り調べに弁護士の立ち合いを認めない日本の司法制度をはげしく批判し、海外メディアも「まるで中世の魔女裁判」と報じました。それに対して検察は、起訴後の有罪率が極端に高いのは「精密司法」だからだと反論しましたが、「精密さ」の実態がこれです。

 私たちは、いつ冤罪で刑務所に放り込まれるかわからない国に生きているのです。

参考:「西山さん無罪 15年分の涙」朝日新聞2020年4月1日

『週刊プレイボーイ』2020年4月13日発売号に掲載

 

橘 玲(たちばな あきら)

橘玲のメルマガ 世の中の仕組みと人生のデザイン 配信中

 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)。

橘玲『世の中の仕組みと人生のデザインを毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中) 


作家・橘玲の切れ味鋭い見解が毎週届く!
有料メルマガの
無料お試し購読受付中!
お試しはこちら

海外投資必勝マニュアル&本

海外投資のノウハウが凝縮! ここで紹介しているコンテンツ、書籍はすべて、ネットから購入が可能です。さらに「海外投資実践マニュアル」は「海外投資を楽しむ会」の会員になれば割引価格で購入可能です。

作家・橘玲のディープなメルマガ
発売即重版決定! 橘玲の最新刊【幸福の「資本」論】発売!
橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
橘玲×ZAiONLINE海外投資の歩き方
作家・橘玲がメルマガ配信を開始!
subcolumn下影

ページのトップに戻る

本WEBサイトに掲載している全ての記事およびデータについて、その情報源の正確性・確実性・適時性を保証したものではありません。本サイトの提供情報を利用することで被った被害について、当社および情報提供元は一切の責任を負いませ ん。万一、本サイトの提供情報の内容に誤りがあった場合でも、当社および情報提供元は一切責任を負いません。本サイトからアクセス可能な、第三者が運営するサイトのアドレスおよび掲載内容の正確性についても保証するものではなく、このような第三者サイトの利用による損害について、当社は一切責任を負いません。また、併せて下段の「プライバシーポリシー・著作権」もご確認ください。