とはいえ、球団側も選手側も、故障に対する認識が定まらない点は興味深い。故障を防ぐ方法がないからだ。極論すれば、合理的と呼ばれるフォームで投げていようが、球数や投球回数を制限しようが故障する人はするし、しない人間はいくら投げてもしない。本書には嫌になるほどその事例が載っている。

 そもそも先発投手の一般的な球数の目安とされる100球についても科学的な根拠があるわけでないことが読み進めるとわかる。「区切りのいい数字が好まれるからではないか」という著者の推測に納得してしまう。メジャー球団のあるGMが「大事にしても投手は故障した。投げられなくなった。私たちは状況を評価し直す必要があった」と語っているのが印象的だ。

 メジャーリーグは組織的にビッグデータを使って、故障を防ぐ方法を探り始めている。一方、電気治療や遠投、常識外れの投球法指導まで、科学より宣伝に長けた者達が数十億ドルとも言われる腕のケア事業で一儲けをたくらむ。

 厄介なのは、解決法が見えなければ、科学より伝統、事実より信条が怪我を治すこともあるかもしれないことだ。実際、そうした希有な例も紹介されている。

 著者はトミー・ジョン手術にも非科学的な治療法にも是非は述べないが、手術を受ける年齢が低年齢化していることだけは紛れもない事実だと指摘する。アメリカで著名な整形外科医がトミー・ジョン手術を執刀した高校生の数は20年前の年間1、2人から80、90人に急増しているという。

 故障を防ぐ解は見いだせないが、起きている事実を知るべきだとの指摘はもっともだ。野球に没頭する子どもの腕の問題は、一部では見直されつつあるが、全体が立ち止まって考えるべき時期にきている。本書の言葉を借りれば、米日という教育水準の高い産業国家の国民的スポーツが、子どもの健康を危険にさらすような習慣を助長しているのは真実なのだから。

(HONZ  栗下直也)