大きく変わりつつある高校の教員事情

後藤健夫
後藤健夫(ごとう・たけお)
教育ジャーナリスト&アクティビスト。1961年愛知生まれ。南山大学在学中から河合塾に。大学卒業後に就職して以来、東京で勤務。その後、独立。早稲田大学や東京工科大学での入試関連業務に従事する一方で、経済産業省や自治体のプロジェクトなどにも参画。編書に、『セオリー・オブ・ナレッジー世界が認めた「知の理論」』(ピアソンジャパン)。

後藤 いま採択が多い教科書のいくつかは全然ダメで、新しい学習指導要領や共通テストの方針に合っていません。教員は自分たちの授業が大切なので、それを変えないために、過去のままの教科書を持ってくるわけです。

 でも、学習指導要領が変わって、共通テストも変わって、方針も変わっているのに、そのような教科書で対応できますか、という話です。

石川 これが悪いことに、コロナ禍でバタバタしているこの2年間に、いきなり教科書の採択になってしまい、前からのものにしようと押し切られてしまいました。

 先生からしても、共通テストは方針が変わって、以前(大学入試センター試験)に戻ったのでしょうくらいの認識です。数学だけ「どひゃん」で、他は変わってないという認識が背景にあります。

――現実逃避は、結構やばい感じがいたします。

後藤 新しく教員になる人たちは、自分たちの習った授業を繰り返しますが、それがすでに受験対応の授業だったわけです。教科の研究とかをすっ飛ばして、自分の習った授業の再生をしようとしても、そこにICT(情報通信技術)が入り、探究が入ってきたら、もう対応できないですよ。

 その結果、「私は受験対応が得意です」というような教員が公立校でも余ってしまい、教員の転職市場に流通している状況です。

石川 社会科の教員を見ていると、社会科学系のいろいろな学部から教職課程で教員免許を取れるので、自分が受験でやっていたような感覚で教えてしまう印象です。教育学部系で社会科教育法のようなメソッドをきちんと教わって教員になった人がそれほどいない。

 ですから、今回の社会科の課程の変化をお話ししても、その意味が分からない、何をすればいいの、という反応です。教える量が減ると知識が足りなくなって、受験に対応できないとだいたいの人が言いますね。同様に、数学科も理学部や工学部出身の人が教えている場合には、入試問題を解くのがすべてということが多いです。

後藤 新しく教員になった若手より、むしろ50代の教員の方が対応できているのが実情です。探究に方針が変わっても、対応できてしまう。最初は文句を言っていてもね。

石川 やれる人はやれてしまいますね。

後藤 頭の固い人はダメですけれど。受験対策だけで生きてきたような人はダメですね。このあたりが学校選びの重要なところになります。私立校では、教員募集で「受験対応ができる人」なんて掲げているところもありますから。

――それは外からはうかがい知れないことです。

後藤 だから、評判を聞かないといけない。「若い先生が何を教えていますか」と尋ねて、「受験対策です」と言われたら、そこは志望校から外すとか(笑)。

「課題解決」という圧倒的な文科省の方針に高校の現場が抵抗しても、ICTが導入されて、自分の授業も変えなければいけなくなることで、教員は「どひゃん」となってしまう。これまでのような受験指導に意味があるのか、少子化との関わりで最後に述べたいと思います。

(続く)