近江商人をルーツに持つアイデスの遺伝子

 歴史ある中井家のルーツは、滋賀県の近江商人だった中井源左衛門(光武)にさかのぼる。日野屋という屋号で、日野椀という塗り物の製造販売を手がけ、江戸時代に雑貨や米などの販売を全国的に展開したという。

「日野屋が全国展開する中で、1749年には栃木県大田原に出店し、源左衛門が作った商売の基礎は、このころに完成しました。中井家の墓の筆頭に書かれている中井治左衛門から数えて、私は8代目にあたります。現在のアイデスにつながる事業を興したのが曽祖父の中井弥平で、そこから数えると4代目です。自分が近江商人の末裔だと知ったとき、いま私が経営者でいることも偶然ではなく、必然であるような感覚を持ちましたね」

 初代・弥平が興した饅頭屋は、1930年に「中井酸素溶接所」へと大きな事業変換を遂げた。酸素溶接とは、アセチレンガスに酸素ガスを混合させた高温の炎で行う溶接法で、この酸素溶接で幼児用チェアーの製造を始めた。

「関東大震災を経た昭和初期、地中から飛び出していた水道管を集めて溶接し、チェアーを作っていたといいます。チェアーは皇太子さま(現在の天皇陛下)にも献上されるようになりました。これが現在のアイデスの始まりです」

皇太子さま(現在の天皇陛下)に献上されたチェアー
皇太子さま(現在の天皇陛下)に献上されたチェアー

 そして戦後、2代目の祖父・賢二郎が1949年から子ども用三輪車の製造を開始した。

1950年ごろに製造された三輪車
1950年ごろに製造された三輪車
2人乗り三輪車。後部座席を立てると背もたれになる

2人乗り三輪車。後部座席を立てると背もたれになる

 範光氏の父・慶一氏が2代目から受け継いだとき、彼は独自のものづくり哲学を持っていたという。

「学生時代からデザイン学校に通うなど、デザインに対するこだわりが人一倍強かったですね。また、親が子に与える愛を絶対的に信じていました」

 子どもが喜ぶデザインの三輪車を作りたい──そうした慶一氏の思いが結実したのが、ディズニーキャラクターの三輪車だ。三輪車のデザインにイノベーションを起こしたといえる。

3代目社長・中井慶一氏 韓国の生産工場にて
3代目社長・中井慶一氏 韓国の生産工場にて

「父はディズニーをきっかけとして、ものづくりへのこだわりはそのままに、キャラクターライセンス事業を活用するビジネスへと転換させました。また、子どもが楽しめる三輪車を作り、自ら進んで運動に取り組んで欲しいという思いを実現するために、三輪車の正面におもちゃをつけました。当時の自転車の価格相場が4000円くらいだったのに、おもちゃをつけた三輪車を1万円で売り出したんです。でもそれが付加価値になり、三輪車のマーケットシェアの半分を占めるくらいに大成功しました」

1976年の三輪車商品カタログ
1976年の三輪車商品カタログ

 また父の代になると、それまで製品を問屋に卸していた形から、幼少期に最適な運動の重要性をエンドユーザーに直接訴えるため、自社で商品販売を行うようになる。いち早く受注処理をデジタル化するなど、製造販売のインフラを整えつつ、デザインと性能に優れたのりものを提供できるようになった。

父から事業を引き継いで知った、自身のパーパス

 範光氏が大学を卒業し社会人になるころ、4代目として父から事業承継をする気はほとんどなかったという。

「心の片隅には継がなきゃいけないんだろうなと思っていましたが、当時はアーティストや大学教授になりたかったし、海外で勝負したいと思っていました。だから、親が決めた就職先も断って、自分で見つけた就職先を選びました。今思うと、親が決めたレールに抗っていたんでしょうね」

 親への対抗心から、自ら選んだ仕事として、化粧品卸の大手ドラッグストアチェーンを担当する営業職の道を歩んだ。そこで結果を出し、自らのキャリアを切り開き始めたころ、父が動いた。

「『海外事業部で実業をしながら、世界を相手に仕事をすればいい』と言われ、親の会社(当時の社名はプラスワン)に入ることにしました。半ば騙されたようなものです。海外事業といっても、工場の中にいながら事務作業に忙殺されていましたから」

 父に抗いたいという気持ちは、ずっと消えることがないという。しかし、中井家の家業を継ぐという運命を受け入れることに後悔はなかった。範光氏は入社して6年、自身のパーパスを自覚するようになったという。

「入社した当初は感じなかったのですが、6年くらい経って、『この仕事には意味があるな』と思い始めるようになったんです。自分がやりたい仕事は、人に喜んでもらうこと、感謝されることなんだと」

中井(現アイデス)入社後、1994年ごろの中井範光氏
中井(現アイデス)入社後、1994年ごろの中井範光氏

 のりものを乗りこなして喜ぶ子どもの姿。そこに自分の存在意義がある。範光氏がアイデスという会社にパーパスがあることを自覚したのだ。

「自分に子どもが生まれたのも大きかったですね。ニコッと微笑みかけられたとき、ドーンと大きな衝撃を受けました。子どもに喜んでもらう仕事をする、これは自分にとっての使命というよりも、中井家がもつ宿命なんだと。親、そして先祖代々から受け継いできたものが、宿命という一本の切れない線でつながっているんです。だから、曽祖父の代から私に至る4代の事業承継のストーリーは、あたかも一人の子どもが成長していくかのように連続しているんです」

子どもの成長に貢献するのりものたち

 4代にわたって受け継がれてきたアイデスの遺伝子。現在の主力商品である三輪車や自転車などのプロダクトには、「毎日の運動遊びを通して、子どもの成長に貢献する」という同社のミッションが強く刻み込まれている。

 子どもの成長を促すのは、「楽しみながら学ぶ」ことだと、範光氏は強調する。

「のりものを通じて、楽しみながら学ぶ環境を提供しています。のりもの自体はツールでしかありませんが、そのツールを使って子どもが何を得られるか、それが重要なんです」

 子どもが三輪車や自転車を乗りこなすまでには、数多くのチャレンジが必要となる。特に、ひとりで自転車が乗れるようになるためには、時に痛い思いをしながらも、トライを繰り返さなければいけない。その先には、「できた!」という達成感が待っている。

 アイデスは、幼少期の運動に最適なのりもの体験などを通じて、こうしたトライを繰り返すチャレンジ精神を育めるよう、機能面でも工夫を凝らしている。例えば、「D-Bike MASTER+」は、キックバイクで練習してから、乗りこなせるようになるとペダルとクランクを工具なしでワンタッチで装着できるようにし、子どもの「できた!」という瞬間を逃さず、自転車デビューできるようにしている。

「子どもが発する『できた!』の一言がとても重要なんです。たとえば、月齢の低い1歳の子どもでも、 D-bike miniをまたいで自分で歩いた瞬間、『できた!』という表情を浮かべます。自転車に乗るときには精神的にも自覚しているので、『できた!』という実感が増して、もっと誇らしい顔をします。『できた!』と実感するには、タイミングも重要。すぐにペダルや補助輪を付けられるようになっていないといけません。子どもには流れやノリが大切なので、『できた!』と思っている間にすぐ次のステップへ進めると、さらにできる可能性が高くなります。子どもができるタイミングを逃さない。これがD-Bikeの開発コンセプトです」。まさにこれこそがアイデスが主張する、幼少期に最適な運動の重要性を体現した例であろう。

 子どもが「できた!」という達成感を得るには、かんたんに越えられるハードルではなく、多少難しいチャレンジを与える必要があるという。そして、そのチャレンジは辛さを伴うものではなく、それを上回る楽しさが求められるという。

「子どもは楽しくなかったら絶対にやりませんし、継続しません。ですから、のりものを開発するときにも、子どもができるかできないかのギリギリのラインに設定します。子どもの『できた!』という成功体験は、必ず次のチャレンジにつながっていく。ですから、ギリギリのラインを攻めるのは非常に難しく、開発テストを何度も繰り返していきます」

のりものを通じて、「人生の糧」を提供する

 アイデスの三輪車や自転車は、インスタ映えするようなデザインを重視する一方で、子どもの安全・安心を徹底する機能性も重視している。「楽しさと安全性の共存」は、父から受け継いできたアイデスの精神そのものだ。

 だが、キャラクターデザインの意味合いも、範光氏の親の代と今とでは、大きく異なるという。

「父のころは、キャラクターそのものを楽しむ。キャラクターになりきることで子どもは楽しみを得られていました。でも今の時代、ディズニーのキャラクターは一緒に成長し、チャレンジしてくれる友達なんです。嫌だと思うことでも、ミッキーが一緒だったらやれる。子どものやる気を引き出すパートナーなんですね」

 そして、見た目の良さといった情緒的価値に加え、機能的価値を徹底的に引き上げている。自転車のフレームの強度を調べる振動試験は、国が定めた基準では7万回だが、アイデスでは21万回のテストを課している。徹底した安全性を追求した上で、子どもが安心してのりもので運動する習慣を身に着けてもらうことを目的としている。

「かっこいい三輪車や自転車に乗るという情緒的価値だけではなく、子どもが運動し、鍛えられることで得られる機能的価値をより重視しています。子どもに運動習慣をつけることで、その子の将来にとっても機能的に役立つのではないかと思っています。最適な時期に最適な運動を提供すること。これが子どもの成長上、とても重要なのです」

 範光氏のいう「機能的価値」の最たるものが、脳の発育への効果だ。

「運動は、脳を鍛えることができる唯一の方法と言えると思います。運動を通して健康や体力を高めることはもちろんのこと、子どもの成長の土台である脳の発育にも好影響を与えます。幼少期の6歳ごろまでに、脳の約90%が完成すると言われているので、この間に行う運動は極めて重要で、効果的だと考えています」

 つまり、のりものによる運動は、子どものその後の人生を決定づける大切な要素になるのだと、範光氏は強調する。

「いわば、のりものが子どもにとって『人生の糧』になる。アイデスは、単に三輪車や自転車を提供しているのではなく、人生の糧そのものを提供しているんです」

アイデス 中井範光氏

アイデスのパーパスは、「愛」と「こだわり」にある

 0歳から、子どもの成長に合わせたのりものを提供する。子どもの成長を後押ししながら、パートナーとして寄り添い、会社も一緒に成長していく──こうしたアイデスのパーパスを言葉で具体化していくと、「幼少期の成長に最適な運動を『愛』をもって提供する」に集約されると、範光氏は語る。

「いつの時代でも、子どもにとって変わらない価値は、親が子に与える愛、ではないでしょうか。愛は、その人を形作る意識の中に落とし込まれるものです。三輪車や自転車は単なるツールでしかありませんが、親が子どものことを思いやって買い与えるものですから、愛を伝承させられるアイテムでもあるのです」

 父・慶一氏は範光氏に、『親が子に愛情があるかぎり、このビジネスはなくならない』と語っていたという。父は父なりに、アイデスのパーパスは『愛』にあると感じていたようだ。

「父は多忙を極めていて、私が父と接する機会は決して多いとは言えませんでした。でも、父の愛は感じていましたね。だから、私も自分の子どもに、そしてアイデスの製品を使ってくださるお子さんに、愛を伝えていきたいのです」

 そうした愛は、「感謝」という言葉にも置き換えられると範光氏は考える。

「親が与えてくれた愛に対して感謝していますし、そして社員にも、ユーザーの皆さんにも感謝する。経営においても、製品化においても、愛と感謝を常に忘れないようにしています」

 そして、幼少期に最適なのりものを通じて子どもの可能性を引き出し、成長へと導くために、こうした愛情に裏打ちされた商品開発を行うこだわりも大切にする。

「D-bike miniの商品開発には、8年の歳月を費やしました。私が決めたゴールに必ず到達させるために、商品開発のためにスケッチは100以上作りましたし、社員とコンセンサスを取りながら、漠然としたコンセプトを具現化していくための作業を繰り返しています。コンセプトの輪郭が見えてきた時に、目指すべきゴールと違うものだったら、開発途中でもやめます。そうしたこだわりの積み重ねが一つの線になって、全く新しいのりものへと集約されるのです。そのすべては、幼少期の成長に最適な運動の重要性を理解しているからこそのこだわりと言えます」

D-Bike MASTER+
D-Bike MASTER+

先祖から連なる近江商人「三方よし」の精神

 子どもの成長と安心・安全に対する愛とこだわり──。これこそが中井家4代とアイデスが歩んできた90年の歴史の重みとなっている。

「私は常々『子供たちの成長に貢献する』というミッションを社員に浸透させながらプロジェクトを進めています。その根底にあるのはいつでも、近江商人の心得『三方よし』です」

「三方よし」(「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」)は、売り手と買い手がともに満足し、社会貢献にもつながる経営哲学だ。範光氏は、近江商人をルーツに持つ中井家には、「三方よし」の精神が貫かれているという。

「私の代になってからは、祖父や父を見て学んだ『三方よし』がより強く出ていると思います。中でも一番大事なのは社会貢献につながる『世間よし』。もちろん利益を出さないとビジネスは成り立たないのですが、自分たちさえ良ければいいという考えはまったくありません」

 父・慶一氏の時代にはおよそ160社がひしめいていたのりもの玩具業界も、今は2、3社しか残っていない。アイデスが生き残れた要因は、この「三方よし」だと範光氏は考える。

「常に三方を考えながら商売を実践してきました。これがサステナブルなビジネスなんだと思います。中井源左衛門の『日野屋』はもう存在しませんが、その精神はアイデスに生き続けています。父から私に、そして次の代、その先の代にも引き継がれていくものだと思います」

特集:INNOVATIVE PLAY for CHILDREN イノベーティブな「遊び」が、子供の成長を促す

撮影:小田駿一