今世紀に入ってから、中国企業は海外進出を「走出去戦略」と名づけ、規模を急速に拡大し始めた。その対象は必ずしも先進国だけではなく、市場規模が小さく、所得水準も低い地域や国々にも猛烈な勢いで進出している。
その海外進出ブームが起こる中で、特に注目されたのがアラブ首長国連邦のドバイだった。
ドバイは、中東のほぼ真ん中に位置し、フリーポートであることから交易の中心地として昔から栄えている。UAEは1980年代から、将来地下資源が枯渇した場合に備え、石油産業依存からの脱却を目指して、香港のように、中東における金融と流通および観光の一大拠点となるべく、ハードとソフト双方のインフラの充実に力を入れている。それが世界各国の大手企業から評価され、進出先として注目されるようになった。いつしか、ドバイは「中東の香港」とささやかれるまでに評価が高まった。
このドバイの成功を見て、アメリカにより経済封鎖などを強いられたイランは1991年に、中国の経済特区のようなエリアを国内に作った。それはホルムズ海峡の北に位置し、ドバイとはペルシャ湾を隔てて約180kmという近さにあるケシュム島だ。
ケシュム島は面積が1491平方kmで、イランないしペルシャ湾で最大の島として知られる。ケシュム島の他、キシュ島、チャーバハール港を含むエリアが自由貿易地区となっており、「イランの深セン」と呼ばれ始めた。
走出去戦略が始まって早々の頃だった。取材活動を進めているうちに、「イランの深セン」と呼ばれる同島の存在を知った私は、飛行機でケシュム島に向かった。当時、すでに中国の大手家電メーカーだった「康佳集団」などの中国企業がUAEを拠点にして、イランなどに進出しており、ケシュム島では「康佳」の広告も見られた。
島には、ペルシャ湾独特のスタイルの舟が、ドバイから仕入れた多くの商品を運んでくる。イラン本土と島は最も近いところで約2kmしか離れていない。これらの商品はイラン本土に渡り、やがて長い陸運を経て、首都テヘランの商店の店頭に飾られるのだ。