東大卒の電通女性新入社員が自殺した件。この女性社員が美人だったこともあってか、ネットでも大きな話題になっているが、報道でのこの件の取り上げ方に対して、僕は大きな疑問点や違和感を抱いている。

「電通女性社員自殺」を単なる過労死にすべきでない理由(写真はイメージです。本文とは関係ありません)

 そもそも今回の件が大きなニュースになったのは、労基署が労災認定したことがきっかけで、マスメディアでもネットでも「過労死」事件として論じられている。しかし、彼女の自殺は本当に過労死だったのか――。これを過労死としてしまうことで、もっと大きな自殺の真の原因とも言うべき「本質」が見過ごされてしまうのではないか、むしろその本質は日本の企業体質に残っている「女性問題」ではないか、と僕は見ている。今回はそのことについて語りたい。

メディアが報道しない矛盾

 まずは、過労死と報道されることへの疑問点について。自殺した彼女が、たんに仕事が多いから、残業が多すぎたから自殺したという捉え方は、間違っているのではないだろうか。というのも僕自身、電通とは30年以上付き合ってきたから感じるのだが、いまの電通は社員が過労死するような体質ではない。これは僕だけでなく、電通と長い付き合いのある人間に共通の感想だ。実際に最近では、電通の本社オフィスで打ち合わせをしていると、夜の8時くらいに強制的に蛍光灯が消されるなど、会社としてはとにかく社員に早く家に帰れというメッセージを日常的に送っている。

 たしかにかつての電通は、過労死が出てもおかしくないほど、極端なハードワークが強いられる会社だったと思う。しかしそれは電通だけでなく、日本企業全体がそうだった。バブルの頃には、月100時間や200時間の残業は当たりまえ。300時間を超えてようやく「ちょっと働き過ぎ」と言われた。そんな時代もあったのだ。広告代理店、商社、コンサルを筆頭に、そんな働き方をしていた企業は数多い。

 しかし、まさにバブルが崩壊した1991年、電通の若手男性社員が過労を苦に自殺。これが過労死認定され、大きなニュースになった。そのことへの反省から、90年代後半からは大手企業は社員の残業を減らすことに躍起になっている。最近は、若手社員から「もっと仕事をしたいのに、会社がそれを許してくれない」という不満が聞こえてくるほどだ。

 もちろん、労働環境は企業や部署によって違うし、自殺した彼女の部署は特殊だったのかもしれない。いまでもITベンチャーやコンサルのように、まるでバブル時代のようなハードワークを続けている業界もある。しかし、今回の自殺した女性に関しては、自殺した直前1ヵ月の残業時間は105時間、その2ヵ月前の残業時間は40時間と労基署に認定されたと遺族代理人である弁護士が発表し、それを多くのマスメディアが報道している。

 一方、ネット上では、自殺した女性のtwitterが拡散されている。そのツイートによれば、彼女は朝の4時まで会社で仕事していて、土日も休日出勤、2時間くらいしか寝られず、とにかく睡眠がほしいと訴えていたという。これが事実だとすると、残業300時間ペースの働き方だ。仮に夕方5時が定時の退社時間だとして、明け方3時、4時まで仕事をしたとすれば、残業は10時間程度。さらに土日の休日出勤で10時間程度働くとすると、平日および休日を合わせた1ヵ月の残業時間は約300時間になる。ただしこれは、認定された約100時間とは大きな乖離がある。