社会統合モデルか、多文化主義モデルか

『テロと殉教』のなかで、ケペルは西洋における二つのモデルを分類します。一つは、アメリカやイギリス、オランダなどが採用する「多文化主義」にもとづくモデルで、もう一つはフランスが採用した共和主義的「社会統合」のモデルです。

一方の「多文化主義」のモデルは、差異の尊重という名のもとで、各文化の交流を行なわず、分離主義・隔離主義を推し進めます。その結果、急進的なテロが引き起こされる、とケペルは考えています。

イギリスやオランダは多文化主義の論理を極端にまでおしすすめ、現地住民とイスラム系移民および定住したその子弟たちとのあいだで共通なアイデンティティ像をつくりあげる必要性を無視した。両国の実験の結果、誕生した社会はきわめて脆弱で、テロにつながる急進化の傾向を阻止する力をもたない

このようにケペルが述べるとき、彼の念頭にあるのは、イギリスやオランダで発生したイスラム教原理主義によるテロです。それに対して、もう一方のフランスの共和主義的社会統合モデルを、ケペルは高く評価します。フランスはヨーロッパ最多のイスラム系住民(2003年時点で500万人)を抱えていますが、2001年から2008年までイスラム系のテロが起こっていなかったのです。しかしながら、2005年にはイスラム系住民の暴動がフランスで発生していました。その暴動について、ケペルはどう考えるのでしょうか。

フランス郊外暴動事件がなによりもしめしていることはフランスの社会組織がテロの浸食に十分に抵抗力があるという事実である。新聞雑誌の性急な大見出しやテレビのクローズショットはまるで暴動が《対テロ戦争》という《大きな物語》に組み込まれるものであるかのようにわれわれに思わせたのだが、実際にはそれとはまったく無関係である。暴動は社会の周辺に追いやられた住民の社会的統合に不十分な点があることを明らかにした。しかし彼らもフランス社会と幅広い文化を共有している。かれらはフランス社会の枠のなかで要求しているのである。(中略)それはジハードや殉教というスローガンとは無縁なのだ。

このように、2008年の時点では、ケペルはフランスの共和主義的統合モデルが成功している、と見なしていたのです。ところが、2015年になると、そのケペルでさえも、今までの理解を撤回しているようです。フランスで起こった、1月の「シャルリー・エブド事件」や11月の「同時多発テロ」を見れば、フランスだけがイスラム系住民との統合に成功したとは、決して言えなくなったのです。

ここから分かるのは、ヨーロッパのどの地域でも、深刻な対立が引き起こされている、ということです。とすれば、ケペルが2008年に分類した「多文化主義か、社会統合か」という二者選択モデルは、現在では通用しないと言えるでしょう。