君らは敗残兵やな
昭和29年(1954年)に初めて公募採用された大卒の新人は、入社してすぐ、幸一から商売人としての厳しい洗礼を受けることとなった。
ワコールが大企業として認知される以前の話である。女性下着の会社に就職するというのは、男なら誰しも抵抗感がある時代だ。就職難で和江商事しか入れなかったという者も多かった。
そのことを小耳に挟んだ幸一は、
「言ってみれば君らは敗残兵やな」
と、傷口に塩を塗るような言葉を口にした。
本来なら経営者としては言ってはいけない問題発言だろう。だが実は意味があったのだ。
戦前ほどでないにせよ、“大卒”というだけで当時は十分エリートである。彼らには内心その自負があった。事前にその天狗の鼻を折っておかないと、商売人としては使えない。幸一なりに考えた上での発言だったのだ。
実のところは幸一が期待した以上の人材が入ってくれており、内心ほくそ笑んでいた。実際彼らは、敗残兵どころかまれに見る精鋭としてワコールの快進撃を支えてくれるのである。
大卒の新卒組は二条通東洞院東入ルの塚本邸の離れ座敷の2階に住み込ませ、1年間、寝食を共にして鍛えることにした。当時は松下電器の松下幸之助や壽屋の鳥井信治郎など丁稚上がりの経営者がまだ多く残っている時代であり、彼らが船場などで商いの基本を身につけた話は巷間流布されていた。その教育システムを取り入れようとしたのである。
この時の新入社員の一人に伊藤文夫(後の副社長)がいた。例の高田馨滋賀大学経済学部教授の門下生である。
昭和29年(1954年)の暮れ、教え子がしっかりやっているか気になったのだろう。高田教授が和江商事を訪ねてきた。
応対に出た幸一は、
「先生のおかげでいい新人に入社してもらうことができました」
と心から礼を言った。高田も満足そうである。
「おかげさんで、うちもそこそこの規模の会社になりました。ところがこの世界では“雑貨屋とおできは大きくなるとつぶれる”という言葉がありまして、ここからが正念場やと思っております」