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ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一

第三の女傑――
伝説の下着デザイナー下田満智子

北 康利 [作家]
【第44回】 2017年2月15日
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四太郎会

 当時は“呉方洋方”という言葉があった。

 百貨店の繊維関係業者の集まりなどがあると、呉服関係者は“上座の方”に座り、洋服・洋品関係者は“下座の方”に座るという暗黙の了解である。

 呉服優位の風潮は、京都では特に強かった。京都織物卸商業組合(略称・織商)は今よりはるかに大きな力を持ち、洋装下着は“メリヤス屋”と呼ばれ、最初のうちは百貨店でも売り場は小さかった。

 そんな中、ネクタイを専門に扱っていた京都ネクタイ(現在のアラ商事)の荒川為義が、「京都で偉そうにしている織商たちの向こうを張って、洋装・洋品雑貨を商売とする者たちで集まろうやないか」

 と声をかけてきた。昭和29年(1954年)のことである。

 幸一は二つ返事で了解し、洋傘やショールの河与商事(現在のムーンバット)の河野卓男(後の京都経済同友会代表幹事)、ハンドバッグを扱っている近藤商店の近藤庄三郎が参加することとなった。いずれも百貨店との取引がある有力会社だ。

 こうして4人の男が集まり、会の名前は「四太郎(したろう)会」とした。寄って酔うて、悪いこと“したろう”というわけである。そこは京都の経営者、幸一以上の猛者がそろっていた。

 荒川から、

 「塚本はんはよう仕事しはるが、このままでは早死にするで。事業を大きくしても寿命を縮めたんでは命を事業に代えただけや。仕事も遊びも長生きもできんと、本当の人生とは言えませんで」

 とそそのかされ、昭和29年(1954年)に先斗町(ぽんとちょう)のお茶屋へと、河野に連れられ初めて行ったのが、幸一の本格的なお茶屋遊びの始まりであった。

 そのころの幸一は “旦那はん”には程遠い。

 〈甲斐性がなかったので、座敷には上がれず、女将さんのいる長火鉢の横に座って、舞妓さんをからかったりしていた〉(『乱にいて美を忘れず』)

 のちに週刊誌で“祇園の夜の帝王”と書かれることになる彼にも、こんな時代があったのだ。

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北 康利 [作家]

きた・やすとし/昭和35年12月24日愛知県名古屋市生まれ、東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。資産証券化の専門家として富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長等を歴任。平成20年6月末でみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。“100年経営の会”顧問。松下政経塾講師。著書に『白洲次郎 占領を背負った男』(第14回山本七平賞)、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』、『吉田茂ポピュリズムに背を向けて』(以上、講談社)、『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝』(新潮社)、『西郷隆盛命もいらず、名もいらず』(WAC)、『松下幸之助 経営の神様とよばれた男』(PHP研究所)などがある。最新刊は『佐治敬三と開高健最強のふたり』(講談社)。


ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一

ブラジャー。この華やかな商品に一生を捧げた男がいた。戦後京都を代表するベンチャー企業「ワコール」を創業した塚本幸一である。インパール作戦の生き残りという壮絶な戦争体験を持つ彼は、いかにして女性用下着に出会い、その未開市場を開拓していったのか。ベンチャースピリット溢れるその豪快華麗な生涯を、いま最も注目される評伝作家・北康利が描きだす!

「ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一」

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