「幸せ食堂」繁盛記
【第四三回】 2017年2月13日 野地秩嘉

海鮮居酒屋の原型にして王道、赤羽の庶民派酒場の心意気

人生、意気に感ずる店

 食べ物屋の取材をする場合、わたしがやる手順は次の通りだ。まず信頼のおける人が推める店で試食する。店内とトイレがきれいに掃除してあって、かつ一定のレベル以上で、しかも、同業の店が持っていない特徴があれば取材をする。私は取材した店だけを書く。料理を食べただけで感想を記しておしまい、ということはしない。

 そして、わたしが言う「他の店にない特徴」とは料理よりも、むしろ店主の人柄や従業員のサービスのことだ。料理がおいしくても、威張りまくっている人の店を取材することはない。すかした話をする従業員が集う店も居心地がよくないから敬遠している。

 わたしにとって「もう一度行きたくなる店」とは料理がまあまあおいしくて、値段がリーズナブルであることに加えて、店主がチャーミングであること、従業員が一生懸命に働いていることだ。彼らを見て、私は人生、意気に感ずるのである。

 赤羽のトロ函は意気に感ずる店だ。そして、何よりも感心するのは店主、新町昭宜の面倒見の良さ、そして、彼が真剣に働く様子である。

 トロ函(本店、赤羽に他3店舗あり)は赤羽の駅から歩いて3分の場所にある。隣は赤羽一と呼ばれるうなぎ屋兼居酒屋の「まるます家」。

 新町は言う。

「10年前、新小岩で海鮮居酒屋を始めて、赤羽にも店を出すことにしました。場所はなんとまるます家の隣……。友だちには『お前がまるます家の横に店を出すなんて……。百年早い』と言われました。そして、オープンの日にやってきた昔からのお客さんには『お前がここでやるのは百万年早い。ふざけるな』と怒られました。それなのに…。オープン2日目にうちはボヤ騒ぎを起こして、前の通りに消防車が十数台、集まったんですよ。もちろん、近所の店はどこも営業はできません。私は平謝りで歩いたのですが、『早く出ていけ』って感じでした。それからは毎日が地獄の日々でしたね。シャッターを蹴飛ばされたり、2ちゃんねるでぼろくそに叩かれたり…」 

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野地秩嘉 

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

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