新社屋の完成

 昭和34年(1959年)の創業10周年にあわせ、西大路(京都府京都市南区吉祥院中島町)に本社ビルを新築することにした。

 建築予定地の真ん中に大きな欅の木があった。当初は切り倒す予定であったが、工務店の人間が連れてきた倉田地久という宗教家が、幸一にこう語ったのだ。

「この老木は1000年も前からある木で、この木を粗末にすると必ず神罰があたる。昔はこの土地の東側に川が流れており、ここに欅の実が流れ着き、年月と共に生成して生い茂り、琵琶湖に住む龍が住みついた。この木に宿った龍神は塚本家の祖先と深い関係があり、あなたが来るのを待ち望んでいたのだ」

 松下幸之助や出光佐三など経営者の多くは信心深く、神秘的なものを抵抗感なく受入れるところがある。以前、自然社に通っていたように、幸一もまたそうであった。

 彼はこの神木を敷地の西南の隅に移植することにし、その横に「和江大龍神」という龍神をまつるほこらを建てた。

 着工初日、神木のあった場所からお地蔵さんが2体出てきた。工事の進捗につれてお地蔵さんの数が増え、ついに13体になった。これらのお地蔵さんもまた丁重にまつった。

 そしてこの年の末、鉄筋3階建て地下1階の新本社ビルを落成させ、翌年の1月12日、華々しい演出のもと創立10周年と新社屋落成を記念した披露パーティーが開かれた。

『週刊コウロン』に掲載された記事 拡大画像表示

 このことは中央公論社発刊の『週刊コウロン』1月26日号(1960年)の中で“ブラジャーでビルを建てた近江商人”として紹介された。

 〈ブラジャーを売る男塚本氏は近江商人である。近江は牛で知られる。ところがこの近江商人は、ある社員の言葉を借りると『サラブレッド四歳午』。カン馬で、眼先も利くかわりに、まごまごしていると騎手を振り落として、どこかへ突っ走りかねない“近江馬”である〉(『週刊コウロン』)