Photo by Yoshihisa Wada

 私にとって、ユニクロの柳井正さんとの出会いは、頭をかち割られるような衝撃だった。「丁稚として学びたい」。経営者には何が必要か。そのすべてを学べた分岐点がユニクロ時代の7年間だった。今回はその点について述べていきたい。

柳井さんのような人物には出会ったことがなかった

 前回、述べたとおり旭硝子在職中に留学し、帰国しても「絶対に自分で起業し、経営をしなければ一人前とは言えない」の思いは変わらず、結局、旭硝子を退社してしまう。とはいえ社費留学なので費用は返済しなければならず、縁あって日本IBMに勤めることになった。営業担当として3件目の訪問先が「ユニクロ」のファーストリテイリングだった。

 しかし今から考えると、この訪問は“仕掛けられた”ものだった。前年の1997年に、旧知で伊藤忠商事出身の澤田貴司さんがファーストリテイリングに入社し、副社長になっていた(後にリヴァンプの共同創業者、現・ファミリーマート社長)。彼に声をかけられて柳井さんへのプレゼンが実現したのである。

 IBMのプレゼンなのに、柳井さんはシステム提案にいっこうに興味を示さず、「君は何をやりたいんだ」とばかり聞く。私も率直に、「将来は、独立して商売をやってみたい」と答えた。

 すると、「コンサルティングとかMBAでは経営者にはなれない。ここで働いてみたらどうだ」と言われたのである。どうやら澤田さんが、柳井さんに「彼を採りましょう。プレゼン名目で面接です」と事前に含んでおいたようなのだ。

 柳井さんは、純粋で強烈なオーラを発していた。そして、日本のアパレル産業がいかに非生産的であるかを論理的に語ってくれた。

 柳井さんによれば「日本のアパレル産業は、ファッションの流行りや季節の変化で売れるか売れないか分からないものばかりをつくっている。ギャンブルみたいな商売だ」と言う。「したがってアパレル産業ではリスク分散をする。百貨店は返品可であり、売り場に商品が届くまでには何層もの問屋や商社が介在し、本来ならば1000円で売れる商品が百貨店の店頭では1万円で売られている。これが日本のアパレル産業だ」と規定するのである。

 その上で、「1000円と1万円の価格差、ボラティリティ(変動性)を、ベーシックカジュアルの分野でなくしたい。そのためには品番数を絞り込み、生産と売り場を直結させて完全連動にすれば、お客さまには原価が300円の商品を1000円で届けられる。これはお客さまにとってもハッピーだし、実はリスクも抑えられる高収益モデルなのだ」と説く。

 当然、当時のユニクロも日本のアパレル産業も柳井さんが構想するようにはなっていない。しかし目の前にいる柳井さんは、まさに私が憧れていたアントレプレナーだった。それまで私は、柳井さんのような人物に出会ったことがなかった。

「この人の下で、丁稚として一から商売を学ばせてもらおう」。即断即決だった。そんな柳井さんとの出会いを実現させてくれた澤田さんには心から感謝している。現在は競争相手となったが、今でも恩人であり大切な友人だ。