泥棒、サボり、暴動…それでもニトリが家具の海外生産に乗り出したワケPhoto by Yoshihisa Wada

価格を3分の1にするには
自社で作るしかない

「アメリカのような豊かな暮らしを日本でも実現するために、日本人の所得を3倍にすることはできないが、価格を3分の1にすることはできる」

 アメリカ視察で得た「ロマン」を実現するために、価格の安い商品をどのように調達するかが事業の鍵となっていた。「品質を維持したままで、価格を3割ダウンする」と決めて走り始めたのだが、その取り組みが結果的にニトリをSPA(製造小売業)業態として成長させるきっかけになった。

 指導を仰いでいたチェーンストア理論家の渥美俊一先生からは常々、「小売りはメーカーをやってはいけない」と言われていた。だから、安い商品を求めて必死に全国を回ったり、ときには倒産会社の商品を買い漁ったりするなどしか手がなく、安い良質な商品の安定調達に具体的なアイデアを見いだせない日々が続いていた。

 しかし、人の一生は、どこで何があるか分からない。ニトリは、ひょんなことから製造分野に直接に乗り出すことになるのだ。

 当初は、安く良質な商品を揃えるためにメーカー15社ほどの協力を得て「ニトリ家具研究会」を組織した。ニトリがデザインや材質などを指定し、研究会の会員に製造してもらうためだ。

 狙いは悪くなかった。しかし、出来上がってきた製品は、材料や表面の塗りの濃淡、木材の目などがバラバラで統一感がまるでない。メーカーに同じ指示を出しても、仕上がりが微妙に異なってしまうのだった。