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経営危機を打開するために三菱商事から三菱自動車に移った益子修CEO。再建に尽力してきたこの13年間と、三菱自動車の将来、そして今後についての思いを聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 深澤 献)

不祥事が発覚すると従業員の子どもたちがいじめられる

――益子さんは、三菱商事から三菱自動車に移って、「社長になったのはハプニングのようなものだった」と述べられていましたが、そうした経緯で社長になり、再建に取り組む中で、「この会社を潰してはならない」と強く思った源泉、一番大きなモチベーションは何だったのでしょうか。

益子 いろいろありますが、まずは従業員と家族のことです。あまり報道されている話ではありませんが、不祥事が起こると従業員の家族やその子どもたちがかわいそうな目に遭う。大々的に報道されると学校でも知られるようになり、「お前の父さんの会社はひでぇな」などと友だちに言われたり、先生からも不祥事を連想させるような話を同級生の前でされたりして、子どもたちが「もう学校に行きたくない」と思うようなことが起こるのです。

 実際、大規模なリコール隠し問題が再燃した後の2005年には、「子どもが学校に行けなくなった」と会社を辞めた人もいました。こういう話は本当に辛いですよ。そういう環境をつくってしまった罪は重い。だからこそ「なんとか踏ん張って、この会社を再建し、この会社にいて良かった、と思ってもらえるようにしたい」と。

――社会的責任という点では、会社が潰れてしまうと、すでに世界中を走っている三菱自動車のクルマはどうなるんだ、ということも問題になりますね。

益子 そうなのです。何百万台という三菱マークのついたクルマが世界で走っており、それらのアフターサービスを投げ出すことはできません。サービスする会社だけを残しても部品メーカーが付いてきてくれるとは思えません。リコールが発生したら誰が対応するのか。そういうこともあるので、やはり会社を潰すという選択は現実的に難しいのです。

 それなら、再生して自力で生きていくか、誰かに助けてもらいながらやっていくのか、答えは2つに1つしかない。救済してくれるパートナーを見つけられたとしても、技術の良いとこ取りだけをされてはまったく意味はありません。ならば自力で再生を目指すしかなかったのです。

――三菱グループとしても同様の考えだったのですか。

益子 三菱グループとして社会的な責任を果たすためには、グループ内の自動車メーカーが不祥事で潰れるというのは避けたかったと思います。

 特にグループをリードされていた三菱重工業の西岡喬会長、三菱商事の佐々木幹夫会長、東京三菱銀行の三木繁光会長(編注:社名と肩書きは2004年当時)のお三方の危機感と再建への熱意は並々ならぬものでした。お三方には本当に強い意志を持って支えてもらいました。

 会話の中で具体的な決意が表明されたわけではありませんが、お三方は立て直そうと思っていたし、立て直せると思っていたのでしょう。それはひしひしと伝わってきていました。でも銀行を含む多くの関係者やアナリストの人たちは自力での「再建は無理」と思っていたでしょうね。