桜の季節が巡ってきた。今年もたくさんの新社会人が誕生する。ところで、社会人になるとはどういうことなのだろうか。原点に戻って考えてみよう。

家出のすすめ

 社会人になるとは、子どもから大人になることだと言い換えても別に間違いではないだろう。大人になって、最初になすべきことは、親の下から旅立ち、ひとりで生活を始めることだと考える。なぜなら、成人した動物で親と同居している動物は、まず世界中どこにもいないからだ。

 人間は紛れもなく動物である。動物として不自然な生活(成人後の親との同居)を続けていれば、親が子を駄目にするのは目に見えている。昔から「獅子の子落とし」というではないか。わが国に多い、いわゆるフリーターや未婚化現象も、これゆえであると言ったら、言い過ぎかもしれないが。

 私見だが、健康上の理由など、特別の事情がない限り、成人した子どもを同居させている親の所得税は、思い切って5倍程度に加重してもいいと考えている。そうなれば、さすがに親も子どもを家から追い出すだろう。就職が決まっていない場合はどうするか。もちろん、躊躇なく追い出すのである。

 追い出されれば、お腹が空くから、子どもは必死に就職先を見つけようとするだろう。仕事が見つかるまではアルバイトで食い繋げばいい。住むところは、いくらでもある。わが国では、前にも述べたように、世帯数よりも遥かに住宅数のほうが多いのだから。お金がなければ、シェアハウスに住んでもいいし、ルームシェアを選択してもいい。今の自分にふさわしいねぐらをみつけることくらいは誰にだってできるだろう。

 すなわち、新社会人としての第一歩は、すべからく家を出ることから始めるべきなのだ(理想を言えば、18歳で大学生になったら家を出てほしいが、生活費を稼ぐために勉強に集中できなくなるという弊害もある)。それが大人になることの意味である。自分の食べるごはんを自分で稼ぎ、自分のねぐらも自分で確保し、ゆくゆくは子どもを育て、“社会に守られる側”から“社会を守る側”に成長していくことこそが、人間の「自立」の真の意味に他ならない。社会人になるとは、要するにそういうことなのだ。