人・組織を鍛え抜く 日本電産「永守流」#3

日本電産の永守重信会長が掲げる「2030年に売上高10兆円」という“大風呂敷”は、果たして現実となるのか? 1973年の創業以来、日本電産は「モーター」を事業の中心に据え、着実にそして急激に成長を遂げてきた。特集「人・組織を鍛え抜く 日本電産『永守流』」(全10回)の#3では、その道のりと今後の課題をデータと共に解き明かす。(ダイヤモンド編集部 村井令二)

【1】創業(1973年~)
ヒト・モノ・カネなく「人の2倍働く」

「ヒト、モノ、カネのどれを取っても大企業に勝てる要素は一つもない。あるのは平等に与えられた24時間。だから競争相手の2倍働く」──。1973年7月23日。京都市内の自宅の納屋で大学時代の後輩と共に4人で日本電産を創業した永守重信が生き残るために講じた唯一の策が「ハードワーキング」だった。

 仕事を見つけるために昼間は全員で営業に回り、夜は全員でモーターを作る日々。だが日本の顧客からは相手にされない。永守はスーツケースに試作品を詰めて単身米国に向かい、飛び込み営業で初めての大量注文を米国企業から勝ち取った。

 創業期に永守が最初に注力したのが「ヒト」だった。だが、知名度ゼロの会社には一流大学の学生からの応募は見込めない。逆転の発想で実施したのが「早飯試験」だ。食事が早ければ仕事も速いという発想で、試験会場の弁当を先に食べた順に合格を出した。

 このほかに「大声テスト」や「便所掃除」と次々に型破りな採用試験を実施して獲得した人材は「叱って、怒鳴って、ボロクソに言って、皆の前で恥をかくことによって闘争心や反発心を呼び起こす」(永守著『奇跡の人材育成法』より)方法で育て上げた。「1番以外はビリ!」を口癖に、勝てる集団を目指したのだ。