最近では、新型コロナウイルスに感染した人がツイートした体験談が炎上したケースがあります。公開することにはデメリットも多いのに、後の人の参考になればと貴重な情報をあえて出してくれた人に対して、1カ所「年末に会食をした」という記述があったために、「自業自得」などの心ない返信がたくさん寄せられたのです。

 私自身にも“炎上”の経験があります。2011年4月、私は東日本大震災の被災地の状況を理解し、現地のIT企業や開発者の方と接点を持ちたいと考えて、仙台に行きました。夜になり、宿泊先のホテルにほど近い仙台駅前の居酒屋で食事をしていたのですが、そこで3月11日以降最大の余震に見舞われました。

 その時に、お店が停電になってレジが使えないので全てアナログで精算してもらい、領収書を出してもらったこと。ホテルの部屋にスマホのバッテリーなど、被災地入りするために準備してきたものを置いて出かけてしまい、部屋に戻れるまで充電の心配をしなければならなかったこと。ラジオなどが手元になく、情報を得るために苦心したことなどを、翌日、ブログに書き留めました。

 自分でも恥を忍んで書き記したつもりではあったのですが、ブログには思ったより多くの人から「非常識」「こういうやついるんだよな」といった、非難のコメントが寄せられました。コメントの内容は全くもって正しく、私の準備不足や「そんな時に領収書をもらうやつがあるか」という指摘は本当にその通りでした。ただ、「自分の体験が参考になれば」と勇気を出して発信した情報に対して一定のリスペクトがなければ、情報を提供しようと考える人が萎縮してしまい、結果として失敗談も含めた有用な情報は世の中に共有されなくなってしまうだろう、とも感じました。

 牧歌的な例えかもしれませんが、SNSを町内会のようなものと考えれば分かりやすいかもしれません。町内会が、何かを「町内のために」と提案した人に対して「アレは違う」「コレはダメ」と批判ばかり出てくるような場だったとしたら、良いと思うことでも誰も提案しなくなってしまうでしょう。それよりはお互いをリスペクトして、「いいところにしていきましょう」と意見交換した方がいいはずです。

 インターネットへの投稿に関する言葉で、「カニンガムの法則」というものがあります。これはウィキペディアの元となる仕組み「ウィキ」の開発者であるウォード・カニンガム氏の名にちなんだもの。「インターネットで正しい回答を得るための最善の方法は質問することではない。間違った回答を投稿することだ」というこの法則が示すのは、最初から完全に正しい情報が集まることを期待するのではなく、インターネットでは、間違っているかもしれないけれども情報を出して、みんなで修正していく方が早く正しい答えが得られるということです。

 カニンガムの法則の精神は、まさにウィキペディアで採用されているやり方そのもの。私はインターネット上に何か情報を出すことは、全て尊い行為だと考えています。